「もし、天界に行きたければ、満月の夜に来なさい。魔界に行きたければ、新月の夜に来なさい」

若者はしばらく意味が呑み込めていなかったのだろう、満天の星空を見ていたが一言つぶやいた。

「妹のいる世界に……お願いします」

闇の巫女はしばらく考えていたが、やがて一言、

「次の新月の夜に来なさい」と告げた。若者は何かを悟ったのか? しばらく巫女の顔を見ていたが、巫女の顔が次第に妹の顔に変わって視えてくると、崩れるようにその場に膝まずき、小さな声で、「はい」と返事を返した。

陽炎の姫

闇の巫女には父と母の記憶がない。もちろん人であった時の記憶もない。今の相棒は、父と思われる者が背負っていた白狐の『雪』だけだ。天界に昇らせることもできたが、共に生きることを選んだ。どのくらいの力を持っているのかは未知数だが……。

そんなある日の夕刻のこと、雪が、必死の形相で杜から逃げ戻って来た。

「どうした、雪? 何かあったのか?」

「杜に、白狐が現れこちらに向かって来ます」

「そうか……」

しばらくすると、杜の中から、泥で汚れた装束を纏った一人の女が境内に向かって歩いてきた。年齢は不詳だが、美女には違いない。顔には両目の上から頬を通って顎(あご)までの太い赤い線が刻まれている。白い肌と対照的なコントラストを描いている。

人の姿をしているが、明らかに人ではない。

「私は、陽炎(かげろう)の姫。訳あって流浪の旅に出ている。今宵一晩を神社で過ごさせていただきたい」

「私は魔境神社の闇の巫女。ご存知かも知れぬが、ここは魔界との境界にある。時より魔界のものが出現してくることもあるが……それでよろしければどうぞ」

「ここしばらく、山の中をさまよっていたので、この身なりで申し訳ありません」

「どうして、変化(へんげ)されているのですか?」

「あなたは、人の姿をお持ちだ。白狐の姿では失礼かと思ったので」

「ふふ、面白いお方ですね」

と闇の巫女は、拝殿に通した。

「ここで、ゆっくりお休みください。この神社と杜は結界で守られています。邪悪なものは、通しませんから」

「私を客人として認めてくれたのですか?」

と陽炎の姫は嬉しそうに微笑んだ。

「はい。少なくとも私は……」

と闇の巫女も微笑んだ。

「よろしかったら、私と話をしませんか。私を少しでも知っていただくためにも」

※本記事は、2020年12月刊行の書籍『眷属の姫』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。