ショーのことも考えられるようになった。パートタイムに出ることにより気分転換ができるようになったからか、ショーを客観的に見られるようになり、だんだん障害を受け入れられるようになってきたのかと思う。

しかし、ショーの障害を本当の意味で受け入れられるようになるまで、それから何年も何年も掛かってのことだ。養護学校に入り同じような子供を持つ親とのつながりを持ったり、ショーと同じような障害を持つ子と接したりすることにより、やっと、『こういう世界があったのだな』と受け入れることが少しできてきた。

障害者を取り巻く世界は健常者の世界とまったく別の世界、障害関係者のコミュニティーを形成している。私にとって、それは大きく目が見開かれる思いでもあった。そのことは、機会があれば触れたいと思う。

当時、様々な障害が我々に襲って来た時期でもある。それは一般社会の未理解。仕様がないことかもしれないが……。

市役所の障害福祉課のアドバイスもあって、私達夫婦はショーを外に連れ出し、社会の公共の場でのルールを訓練する機会を多く与えるようにした。

後に分かったことであるが、ショー自体の躾、訓練になったかどうか分からない。はっきり言えることは私達夫婦の訓練・学習になったことは間違いない。一般の人達がどう私達を見ているか思い知らされたことである。

この頃ショーは保育園に入園していた。ショーにとって最初で最後の一般児童と一緒に生活ができる場だ。

障害を受け入れようと必死でもがいている時のこと。一般世間とのズレ。

これは妻から後で聞いた話であるが、ショーを保育園に入園させようと園長先生と面談したとき、露骨に嫌な顔をされたこと。それでも仕方なく入園を許可されたということである。世間の見方はこういうことかと、一般世間との溝を妻共々思い知らされた出来事だった。

それでも、ショー担当? の加配の先生が本当に良くしてくれ、卒園まで面倒を見てくれた。園でショーは人気者であった。他のお友達、特に女の子がショーちゃん、ショーちゃんと言って、なんや、かんやと面倒見てくれていた。

そう言えばショーは何処に行っても愛される。その『笑顔』は、神様が何処でも生きていけるように授けてくれた贈り物に違いない。

※本記事は、2020年10月刊行の書籍『ショー失踪す!』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。