言いしれぬ不安を抱えたままそれでも月日は流れ、夢の記憶がない、ということ以外は特に記憶力に障害はなく、希望の大学に入学し、そこで出会った女性と恋に落ちた。彼女とは社会人となった後に結婚した。やがて妊娠、そして無事に長男の誕生、となるはずだった。常位胎盤早期剥離と言うのだそうだ、それは。それは突然やってきた。

出産を約一カ月後に控えたある早朝、妻は突然の激痛に目を覚ました。

少し早い陣痛だろうか。初めての出産で私も妻も自信がない。陰部からは少量だが出血もあるようだ。妻は次第に苦悶の表情を浮かべ始めた。とにかく病院に行かなくては、と車を飛ばす。予め病院に電話を入れておいたおかげで混み合っている救急外来を素通りし、ストレッチャーに乗せられた妻は産婦人科病棟に運ばれた。

ご主人様はこちらでお待ち下さい、と面談室と書かれた部屋に通された。まだ眠そうな顔の医師が一人診察室に入っていくのが見えた。しばらくしてその医師が面談室に入ってきた。一目でただごとではないと分かる表情で医師は言った。大変重大なことになっています。おそらく、まだ剥がれてはいけない胎盤が剥がれ始めています。赤ちゃんは瀕死の状態です。赤ちゃんだけでなくお母さんの命も危なくなります。直ちに帝王切開をします。必要なら輸血もします。いいですね、と。

はいどうかよろしくお願いします、と言うか言わないかの内に医師は飛び出していき大声で指示を出している。入れ替わりに看護師が入ってきて、手術と輸血の同意書にサインをするように言われる。印鑑は後でいいですから、名前だけ書いておいて下さい。慌てた様子でそう述べる看護師に私は聞いた。親戚に電話しておいた方がいいような状況なんでしょうか。そうですね万一のことがありますから、そう言い残すと看護師も飛び出していった。

妻はついに息を吹き返すことはなかった。胎盤早期剥離に引き続いてDICという血が止まらない状態に陥ってしまったためだった。あまりにもあっけない死という現実を実感することは到底不可能であった。長男はなんとか一命を取り留めたが、ただ生きているだけという状態だった。

新生児集中治療室の小さいベッドの上で人工呼吸器を装着された我が子を私はじっと見つめていた。眠っているような我が子。この子にはきっと何も見えず、何も聞こえないのだろう。そう思いながらも不憫で、呼びかけたりしている。何の反応もない。だがほんの一瞬だがその閉じられた瞼の内側で眼球が動いているのが分かるときがある。まるで夢を見ているように。そのときだった。私はとても奇妙な感覚に襲われたのだ。まるで深海から魚が浮かび上がってくるような、次第に輝きを増す朝の陽に闇が溶かされていくような。そして私の意識は私の息子、いや私自身の体の中に、ゆっくりと帰っていった。

私はまだ一度も現を見たことがない。