沙也香はわざと皮肉っぽくいって笑った。彼女には磯部がなぜ奥歯にものが挟まったようないい方をするのか、理由がわかっている。その説を支持している学者が、彼の出世を決める綱の一端を握っているからだ。

「そうですか」

と磯部は動揺を隠しながらいった。

「それはともかく、四番目の遣隋使の謎については、高槻先生の家で話しましたから、省略することにしましょう」

というと、磯部は項目を一つ飛ばして、五番目の項目を指さした。

Ⅴ「聖徳太子」は、なぜ天皇になれなかったのか。

厩戸は用明天皇の皇后・穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇女の第一子であり、天皇位継承権の順位からすれば筆頭の位置にある。また才能や人望から考えても、彼以上に優れた人物はいなかった。

その彼がなぜ天皇になれなかったのだろうか。

「さて、この厩戸皇子はなぜ天皇になれなかったのか、という問題ですが、ここで質問してみましょうか。沢田さん、このときの天皇は誰だったでしょう。知っていますか」

「ええ、知っています。推古(すいこ)天皇ですよね。日本で最初の女性の天皇です」

「さすが。そのとおりです。ところが『隋書』を読んでみると、少しようすが違います。その中に書かれた記事によれば、倭国王は男の王だとしています。これは『日本書紀』に書かれていることと違いますよね。この違いはどこからくるのか、それが問題になります」

「高槻教授は、厩戸皇子が当時の倭国大王だったと考えられていたようですね。ノートにそんなことが書かれていました」

沙也香はノートの文章を思い出しながらいった。

「そうです。じつはわたしもそうなんですが、先生は厩戸が当時の倭国大王だったと考えられていました。この問題に関しては、学者の間でも意見が二分しているのが現状です。ただし、厩戸天皇説を提唱しているのは少数派ですけどね」

「ちょっと待ってください。じゃあ、推古天皇はどうなるんですか」

まゆみが聞いた。

「一番問題なのはそこです。もし厩戸が天皇だったら、『日本書紀』はウソを書いていることになります」