第三章 古代からの使者 Ⅲ 没年の謎

没年についても異説がある。

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①推古(すいこ)二十九年(六二一)二月五日説(『日本書紀』)

②法興(ほうこう)三十二年(六二二)二月二十一日説(国宝・法隆寺釈迦三尊像光背銘(しゃかさんぞんぞうこうはいめい)

③推古三十年(六二二)二月二十二日説(『上宮聖徳法王帝説(じょうぐうしょうとくほうおうていせつ)』『聖徳太子伝私記(しょうとくたいしでんしき)』)

ほとんどの学者は③の説を採り、『日本書紀』の記事は誤りだとする。この謎について、磯部は次のように解説した。

「生い立ちが不明瞭だということは、幼いころのことが事実と違う話になって伝えられていたということも考えられます。しかし亡くなったときは、彼は最も注目されていた有名人でした。彼が亡くなったことを知ったとき、日本中の人々が道に倒れ伏して泣き叫んだと、『日本書紀』は書いています。それは少しオーバーだとしても、それほど慕われ、そして尊敬されていた人物の没年に異伝があるということは説明がつきません」

「しかも『日本書紀』に書かれた没年のほうが間違いだなんて、いったいどういうことなんでしょう。『日本書紀』の編集者は、正確な情報を持っていなかったんですか」

「それをぼくに聞かないでくださいよ」

磯部はまた苦笑いした。

「それも大きな謎です。どうしてそんなことが起きたのか、説明した人はまだいません」

「なにか、変なんだなあ……」

沙也香はまた考え込んだ。

「どこかでなにか大きなことを見落としているような気がするんだけど……」

「見落としているというのは、どういう意味ですか」

「見落としというか、なにか根本的なところで思い違いをしているような気がするんですよ。そうでなかったら、こんなおかしなことは起きないはずでしょう」

「そうですね。そうした考え方から、聖徳太子非実在説が浮上してきました」

「あ、それ知っています。聖徳太子は『日本書紀』が造り出した架空の人物だという説でしょう」

まゆみが叫ぶようにいった。

「その話、わたしも聞いたことがありますけど、正しいと認められているんですか」

「そうですね。一時(いちじ)はもてはやされて、定説になるんじゃないかといわれた時期もありました。しかし最近は少し下火になってきているようですね」

「そうですか。なぜかしら」

「反論する人がいろいろ出てきたからです。その説だと矛盾することも多くて、すべてのことをうまく説明できるとは限らないからでしょうね」

「磯部さんのいい方って、微妙ですね」