が田島は、さらに抑えた口調でいった。

「いえ、それだけです……その後は直ちに、全員憲兵隊に自首するつもりです」

「自首?」

と大尉の声は、裏返ったように掠れた。

「ええ自首です。自決はいたしません。当面は……あるいは軍籍を剝奪され、事と次第によっては銃殺刑になる不名誉も覚悟しておりますが、ここは軍人としての意地も誇りも捨てることにしました」

「それじゃあ、自爆して、きみ自身も起爆剤になるというようなものじゃないか」

「ええ、もちろん、それも覚悟しております……ですが、やはりこの非人道的な計画は、おっしゃる通り、だれの目にも血も涙もないテロリズムと映ると思いますが、私も、それを否定する気は毛頭ありません。

しかしここだけの話ですが、私の目的は、チャップリンに軽傷を負わせるだけでも果たすことができると思っておりますし、また心情といたしましても 日本人を秘書にしているほどの親日家と聞いておりますので、できれば命に別状ないよう、最善を尽くしたいと思っております……とはいいましても、もののハズミということもありますので、それはあくまで、その時の情況次第で、そんな思い通りにいくかどうか分かりませんが、何れにしても、あえて戦略といえば、それが戦略、秘策といえば秘策です」

「むう……よく分からないが、つまり、起爆剤にしようというチャップリンの生死は二の次で、きみは、銃殺刑も覚悟で自首するということかな? それでは日本人はもちろん、世界中の人々を仰天させるような事件を起こしておいて、あとは野となれ山となれというようなものではないのかな?」

「ええ、ある意味では……そもそも、この計画は我ながら夢想的で、そのうえ、大尉殿もいわれたような危機感を煽っている強硬派の逆説的なアジテーションと、チャップリンに浮かれている世間の軽薄なバカ騒ぎを逆手にとって国民の目を覚まし、延(ひ)いては、日米戦争を回避しようという、この計画自体もまた、少々逆説的な謀略でもありますので一言では説明できませんが、結論としては、おっしゃる通り、あとは野となれ山となれと思われても致し方ありません……はなはだ無責任のようですが。

といいますのも 古来『天下は天下の天下なり』といいますし、また、『ワシントン海軍軍縮条約』に調印した元首相の加藤友三郎(かとうともざぶろう)元帥も、『国防は軍人の専有物にあらず』と述べられていますように、国家改造も軍人の専有物ではなく、それは国民が夫々(それぞれ)の立場で、夫々のできることに応じて、それに邁進することで初めて達成されるのであり、私ら軍人は、その起爆剤になることはできても、それを手助けすることできませんので」

「むん。福翁も『東洋になきものは、有形において数理学と、無形において独立心と、この二点である』といっているが、たしかに国民一人一人が自立し、現実を直視しないかぎり現状を変えることはできないからな。

また、そのための起爆剤になろうというもの、『一身独立して一国独立す』という福翁の訓えを実践するために私たち青年将校ができる唯一の道、というより、栗原少尉ではないが、『安心して国防の第一線に活躍する』ためにも、為すべき唯一の道で、それはまた、お釈迦様も認めている方便の一つといってもいいだろう。

『日清戦争なんでもない』という福翁流にいえば、『チャップリンの暗殺なんでもない、ただこれ国家改造の序開きなり』というわけだ。

しかし、チャップリンを、その序開きの起爆剤にしようという狙いはたしかに奇想天外で、また、それが天与のチャンスだと思うきみの気持ちはよく分かるが、俗に『理屈と膏薬はどこにでも付く』とか『人は見たいものしか見ない』というし、きみ自身、夢想的とか狂気の沙汰と思うような、そんな一か八かのバクチの、いってみればサイコロを振るような計画に、軍人としての意地も誇りも捨ててまでもと決意したのは何故なんだ? 無論さっきもいったように 熟慮に熟慮を重ねたうえでのことだろうがね」

と、大尉は笑った。

「はあ、それは……」

と、田島の声は小さかった。

「いやいや、そんなことは、念を押すまでもないが、ただ、それが裏目に出ないという、つまり、それが第二の『生麦事件』や『サラエボ事件』にならないという、根拠なり成算があってのことなのか、それを確かめたかっただけのことだが、それは聞くだけヤボというものだな……ああ、サイコロといえば、『神はサイコロを振らない』という、神を天と言い換えれば、老子(ろうし)か荘子(そうし)かとも思うような アインシュタイン博士の名言もあるが、知っているかな?」

「いえ、それは初耳です……でも、何となく分かるような気がしますが、どういう意味でしょうか?」

「むん。そのアインシュタインの、時空が伸びたり縮んだり歪んだりするという、かの『一般相対性理論』は、理論物理学という、その名のとおり理論と数学だけで物事や宇宙の真理に迫ろうという、いうなれば、天才科学者の机上の空論ならぬ、『机上の理論』で、アインシュタイン博士自身も、ニュートン以来の、革命的とも奇跡的ともいわれるその研究成果を、『もしかすると神は、それを見て笑いながら、わたしの鼻面を引き回しているのかもしれませんが』と、半ば謙遜、半ば冗談にしろ、そんなことを親しい友人への手紙に書いているということだ。ということは、裏を返せば、それがどれほど偉大な発見かということは、ご本人もちゃんと承知しているというわけだがね」

「ええ、たしかに……おそらく、だれよりもご本人が一番承知していたと思います」

「その通りだな。科学の分野に限らず、余りに偉大な業績というものは往々にして、世間の人々には、すぐには理解してもらえないもので、ノーベル財団がその歴史的な研究成果を認めたのは、論文が発表されてから二十年近くも経ってからだ。

だがそれが、新聞でも大々的に報じられたからきみも知っているかもしれないが、ちょうど十年前、博士が日本に来た時で、神戸港に着く直前に受賞の一報が入ったんだ。

陸士に在学中だった私は、ノーベル賞受賞者の顔をひと目見ておこうと、日曜日に博士が宿泊している帝国ホテルへ行ったんだが、ひと足違いで出かけてしまった後でね。それで仕方なく、銀座をぶらついて、帝劇(ていげき)で映画を観たりして暇つぶしをしてから、夕方また帝国ホテルへ行って、ロビーで二時間ほど博士が帰るのを待っていたんだが、仮にも士官候補生が門限を破るわけにもいかないから、結局、骨折り損のくたびれもうけになってしまったけどね……実をいえば、私がアインシュタインに関心を持ったのはそれからだ。それまでは名前を知ってる程度のものだったが、いや、科学を専攻している者を除けば、日本人はもちろん、世界中のほとんどの人々も私と同じように、あ、いやいや、そんな無駄話をしている場合ではないな。

では本題にもどるが、それがいくら科学的根拠に基づいた、ノーベル賞を受賞した歴史的な理論とはいえ、物理も数学も学生時代に齧(かじ)った程度の私には、時空が歪んだり、伸び縮みするなどということは、正直、そんなことはイメージすることさえできない、想像をはるかに超えたスケールの空想的な、いうなれば、オトギ噺のようにしか思えないがね。

いや、けっして否定的な意味ではなく、子供の頃に、怖いながらも興味津々(きょうみしんしん)で読んだ、小泉八雲(こいずみやくも)の怪談や、『科学小説 ?之人』(透明人間)のような空想科学小説とでもいった意味でだが。分かってもらえるかな?」

と大尉は、またお道化(どけ)るように訊いた。

「ええ、わたしも『耳なし芳一』や『雪女』は読みましたので」

と田島も、素直に笑って頷いた。

「む……では、率直にいわせてもらうと、今回のきみの計画も、神様に鼻面を引き回されているとはいわないが、やはり、机上の理論といってもいいような話で、非常に興味深い反面、オトギ噺のような話ではないかという思いが拭いきれなくてね。

つまり、今いったように、その計画は、お噺としては奇想天外で面白いが、もしそれが、サイコロを振るような、科学的根拠も成算もないバクチだとしたら、事と次第によっては、きみが銃殺されるだけですむような話ではなく、八年後には、紀元二千六百年という記念すべき歴史の節目を迎えるこの神州日本を冥途(めいど)の道連れにすることになるかもしれないが、もちろん、そうならないという確固たる根拠も、成算もあるんだろうね?」

と大尉は、ナゾかけでもしているような笑顔でいった。

※本記事は、2019年4月刊行の書籍『泣いてチャップリン』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。