最近では、養殖やビニールハウスで栽培されたり、魚や野菜までも輸入されるようになり、さまざまな生鮮食品が、1年中お店に並ぶようになりました。便利さとともに、何か大事なものを失ってしまったことは確かなようです。日本の四季を──旬を──感じられるような、そんな便利さとは違った豊かさを求めてみることも、今の時代には必要なのではないでしょうか

最初の講師体験──高校での葛藤:初めての「体罰」

東京都の教員採用試験に合格し、翌春を待っている間に非常勤講師の話がきた。

初めて教鞭を執ったのは都立高校だった。大学陸上競技部の先輩からの依頼に応じて、かなり遠い学校だったが、引き受けることにした。2学期の4カ月間だけだった。教育実習では高校を経験しておらず、大学卒業したばかりの私にとっては何か高校の後輩を指導するような感覚だったかもしれない。

3年生男子の体育実技と、2年生の保健の授業を受けもつこととなった。

3年生はバレーボールの単元だったので、バレー部の経験を活かして、指導案を立てていった。得意種目の一つであることは伝わったと思うが、割といい感触で授業を進めることができた。

授業を終えた後の昼休み、バレーボール部を引退したばかりの生徒を中心に数名が残って、ネットを挟んでの打ち合いをした。私もまだまだ体が覚えていて、それなりにプレーすることができ、楽しい時間を過ごすことができた。いつも参加する生徒たちもこの時間を終えると満足して、弁当を食べに校舎へと戻っていった。

そんな中、思いもよらないことが起きていた。留年生をどう指導・助言していくか、という難問と向き合うことになった。まずほとんど活動に参加しない。練習の時間はチームから離れてボーッとしている。おそらく留年し、授業には出席しなければならない、という思いだけで来ていたのだろう。

※本記事は、2021年1月刊行の書籍『教育現場の光と闇~学校も所詮〔白い巨塔〕~』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。