京都墓情 二〇一七年十二月:【第一日目】叡山電鉄沿線から金戒光明寺

実相院同様に瑠璃光院は、紅葉の頃の庭園の美しさで人気の寺であるため、この時期閑散としていると思いきや、結構観光客が来ている。拝観料二千円。

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「ええッ!」と受付の女性を見つめる。菩薩のようなアルカイックスマイルで静かに見つめ返す女性。写経用テキストとペンが貰えるので、この料金となっているそうだ。観光で来ているのに、写経の需要があるのかと首を捻りながら、本殿に入る。

「需要あったぁ!」。

十畳程の部屋は、写経する観光客で一杯だ。しかも、ほとんどが若い女性。無心にペンを走らせている。どんな想いを込めて写経しているのだろうか。はッ! もしかして、彼女たちは写経をペン習字の練習と間違えているのではないか。なんだか心配になる。

「この寺は、『日ペンの美子ちゃん』とは関係ありませんから」と一言注意するべきか。

「そんな、馬鹿な間違いをするのは、あなただけですから」と女房が一言。思考を読まれていた。金戒光明寺は、知恩院と並ぶ格式のある浄土宗の寺院で「くろ谷さん」と呼ばれて親しまれている。

幕末には、会津藩主で京都守護職・松平容保の本陣ともなった場所でもある。寺は、民家が密集している地域にあり、道順が分かり辛い。

真如堂に隣接しているので、「真如堂前」というバス停で降車したが、案の定、道に迷った。疲れた足を叱咤し、境内の入口らしきものを発見。

やれやれと入口を潜ると、目の前は墓、墓、墓。墓の大海原が広がっている。しまった! ここは真如堂の墓地だ。数百年は経つヴィンテージ物の墓が至る所にある。

雨後の筍ばりに群生する卒塔婆は、寒風に吹かれ、冥土へと招くようにザワザワと波打つ。墓たちが何やらヒソヒソと囁きあっている。もしかして、僕たちのことが話題になっているのか。夕闇がヒタヒタと背中に迫る。

怖がり屋の女房のことを考え、早くここから抜け出さなければと速足になる。ようやく出口が見えてきた。夕闇を振り切り、出口を抜ける。ホッと、一息ついた目の前には、墓――ッ! 真如堂の墓地の隣は、金戒光明寺のこれまた広大な墓地だった。