言ってはみたものの、あてはなかった。現実問題として、目先の受験費用と入学金は賄えたとしても、授業料と生活費の捻出はずっと続くことだ。

「研ちゃん。ありがとう。でも、研ちゃんは夢を諦めないで、本当に。わたし頑張るから」

沙希といっしょになったのは、若さの勢いではなかった。文芸サークルで出会ったときから、言い古された言葉かもしれないが運命を感じた。それは沙希も同じだったと思う。

なんと言おうが沙希を妊娠させてしまい、責任を取る意味で大学を中退したことは、傍(はた)から見れば若気の至りとしか思えないだろう。

しかし、沙希まで大学を辞めさせるわけにはいかなかった。そのために、彼女の在学中は生まれてくる子供の面倒をすべて俺がみるつもりで中退した。

老舗の和菓子屋の娘として何不自由なく育ち、最難関と呼ばれるT大学での成績も良かった沙希を、中退の憂き目に会わせることは一生の悔いが残る。結果的にその子は流産してしまったのだが……。

頑張り屋で何事にも前向きな沙希は、流産後の体調のせいで短期間の休学をすることはあったが、きちんと卒業した。そして、初めはもちろん猛反対したが、最終的には沙希の決めたことだからと、ただの夢喰い獏(ばく)のような男との結婚を許してくれた沙希の両親。

最初の子が流れたときには悲嘆に暮れ、雫が生まれたときには大喜びをしてくれた姿が目に浮かぶ。俺には卒業することを強く勧めたが、沙希へのけじめで辞めた。

沙希の両親に報いるには、沙希と雫を幸せにすることだけだ。そのためには目の前の困難を乗り切らねばならない。しかし、この期に及んで頭に浮かぶ方法は一つしかない。それは最も選びたくない選択だった。

「沙希。雫の学校のことも含め、これからの生活のことはなんとかする。何も言わず少しだけ待っていてくれ」

そう言い残して書斎に入り、しばらく目を閉じて心を落ち着かせた。そしてスマホからある番号に発信した。しばらく続いた呼び出し音が、馴染みのある余裕たっぷりの声に変わった。

「やあ。その気になったかい?」

※本記事は、2020年9月刊行の書籍『流行作家』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。