「大塚です。よろしくお願いします。あら、ずいぶんお若いのね」

大塚夫人は小柄で小顔の可愛い女性だった。

「よろしくお願いします。松本と申します」

僕が照れながら頭を下げると、大塚夫人は、

「こちらこそ、よろしくお願いしますわ。手の掛かる出来の悪い()(こ)ですが、何とかお願いいたします」

と丁寧に頭を下げた。そのとき、夫人は少し心配気な眼差しだった。笑顔は消えて真顔になっていた。

「今日はお嬢さまもいらっしゃいますよね」

森田さんが夫人に聞く。

「ええ、もちろんですわ。皆さんがいらっしゃることは、本人もわかってますから。()(あや)は自分の部屋にいるはずです。さあ、どうぞなかにお入りになってください」

「それじゃ、失礼します」

森田さんの後を追いかけるように僕も家のなかに入った。僕たちは広い居間に通された。

「しばらく、お待ちになって。いま、コーヒーをお持ちしますから」

「あ、奥さんお構いなく。今日は顔見せみたいなものだから。すぐお()(いとま)しますので」

「そんなこと仰らないで。ゆっくりなさって」

僕は二人のやり取りを()(うわ)の空で聞きながら、ピアノの上に置いてあった何枚かの家族写真を眺めていた。すると、夫人がいなくなったタイミングを見計らって森田さんが僕に小声で言った。

「こんなこと君に話すのも何だけど。このお宅もいろいろあってね」

「え? そうなんですか?」

「実はね、大塚さんの奥さんから聞いた話なんだけど。旦那さんが浮気しているらしいんだ。土曜日なんかは仕事だからといって帰宅しないことが多いらしいんだよ。背広なんかに女性の香水の残り香が残っていたり、背広の内ポケットに見慣れないハンカチが入っていたりして」

聞きたくもない他人の醜聞を、森田さんはあけすけに話しだした。

「しかし、奥さんがそのことを旦那さんに問い詰めたら、旦那さんは『ハンカチは仕事先の知り合いの女性からもらったものだし、土曜日も遅くまで働かないと仕事が間に合わないんだ』と臆面もなく答えたらしい」

この話が僕とどんな関係があるのか、僕にはわからなかった。僕はただ森田さんの話を黙って聞いていた。

※本記事は、2020年11月刊行の書籍『心の闇に灯りを点せ~不思議な少女の物語~』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。