何かを生産してそれを売って利益を得て生活するわけですが、生産することと販売することがもはや離れており、生産することは農林水産業、工業として成立して、売るほうは独立して付加価値をつけて売ることに専念し、実生活の必要の限度を超えて売ることによって利益を生むという構造です。

実感としては、スマホはすでに持っていて用事は足りているのに、新しいのが出ると買ってしまうような話です。大きな観点からすると、資本主義経済の転換点が来ていると考えられていますが、多分それは大局的には正しいのでしょう。

このような流れの中で働き、生きる私たちは、生き方や考え方も変容してきます。私たちは、多分、庶民は、「お金がたくさんあればいいなぁ」と思っています。

なぜたくさんお金がほしいかというと、自分のほしいものが買えるからです。自分のほしいものが自由に買えることが、幸せになります。お金がある―自分のほしい付加価値の高いものが自由に買える―幸せということになります。

お金がある=消費=幸せです。

経済的な豊かさに支えられ、もはや食うや食わずの生活の必要に迫られなくなったことは幸せなことと言えるでしょう。

しかし、いまや幸せは付加価値の高いものを手に入れること、消費になりました。それらの揺り戻しのように、あるいは常に、人間としてどうなんだろうという問いが、波のように繰り返されますが、この経済的な仕組みの中にいて、それらに絡めとられているとすれば、難しい問いかけになります。

※本記事は、2020年9月刊行の書籍『“発達障害かもしれない人”とともに働くこと』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。