② Bさん 七三歳 

腸閉塞でも食を楽しんだネグリジェ佳人

食べたいんです……

初めてお会いしたBさんは、がんセンターの病室でとても不安そうな目をされていました。退院を控え、これから自宅で過ごすという不安に、押し潰されそうになっていたのかもしれません。

そんな精神的に過敏な状況のところに、これから訪問診療を担当させていただきますと、熊のような大男が挨拶に現れたのですから、さぞかし驚かれたことでしょう。そのせいか初対面のBさんは小さなおとなしそうなおばあさんに見えました。ところが「おうちに帰って何をしたいですか?」という私の問いには、明確な答えが返ってきました。

「何かおいしいものを食べたいのです」

これは困ったことになったぞ……、と私はとっさに考えていました。というのも、Bさんの腸は再発した胃がんのために、完全に閉塞していたのです。入院中、Bさんは口から食べたものはすべてもどしていました。鼻の穴からは胃に細いチューブ(胃管)が入れられ、この胃管から常に排液をしていなければ、Bさんは必ず嘔吐していたのです。けれども、Bさんはとにかく退院さえすれば、何とか食べられると考えていたようです。

さて、Bさんの最大の希望をかなえるためにはどうしたらよいのでしょうか。とりあえず退院に際して、苦しまぎれに、口から入れるものは液体のものだけにしましょうねと言っておいたのですが、よっぽど餃子が食べたかったようで、自宅に帰るなりいきなり餃子を食べたようです。そして一晩中吐いたそうです。自宅に伺った私に「餃子はもういけません……」と言いながら、「でも食べたいんです……」と訴えるような視線が、私を貫いていました。

私は追い込まれ、悩みましたが、一つの方法を試してみることにしました。胃に留置されていた胃管を太いものに交換したのです。そしてBさんにこの胃管を見せながら、「このチューブの中を通過できると思えるものを食べてみてください」と提案しました。その後Bさんは、カルピスや卵豆腐を口にしてみたようですが、今度は幸いなことに嘔吐はなく、食物の味も十分楽しめたようです。

私が訪問したときに、うれしそうにそのことを語ってくれました。私の目の前で食べてもらうと、胃に留置されたチューブを通って、口から食べたものすべてが体外へ流れ出てきました。しかし本人は味わいながら口から食べられることに満足し、うれしそうでした。このことをきっかけに、Bさんは元気を取り戻し、車いすで散歩をしたり、庭の草むしりをしたりして、自宅療養を楽しむようになっていきました。