ユタの肖像

長針がゆっくりと四分の目盛へ動いた。

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それから三十分。一時間も立ち続けていると、吸い込まれ吐き出されてくる夥(おびただ)しい人の群れの流れを一瞬堰き止めて次の瞬間には知らぬ顔をして一緒に流れてゆくかのように、あなたは動き出さなくてはいられなくなる。

そしてその行く先はやはりユタだった。

駅前の小さな喫茶店ユタは、前回、つまり十年前には、周辺の在り様が激変する中で化石のごとくまだ健在であった。無論、人は代わり椅子やテーブルも変わっていたが、深い森の奥の洞窟のように殷々とした気配は昔のまま、聴こえるか聴こえないかに店内を震わせているヴァイオリンとピアノもあなたの耳の底に沈んでいるままであった。

もう消え失せているだろうと思っていたのに、十年が経ち二十年が経っても、そこに埋められたタイムカプセルのごとく澄まして確かに存在していたユタに、あなたは驚いたものだ。

それからまた十年。今度こそ在る筈がないと、あなたは覚悟して歩道を渡る。そのあなたの覚悟に手を差しのべるかのように、信号機の青色がまだ夏の余韻を残す蒸し暑さに烟(けむ)っている。

そしてあなたはとうとう、信号を渡ってすぐ右の辺りに在る筈の、クリーム色の布張りの庇(ひさし)の下に剥げかかったユタの金文字を置いているダークブラウンの重い木扉を、見つけることが出来なかった。

三十年だもの。あなたは呟く。

十年目の時も、十年だもの、と呟いた。二十年目の時も、二十年だもの、と呟いていた。