それでも、私が年中組のうちは、父も私の父親役を完全に放棄したわけではない。

幼い私が不憫に思えたのだろう。週末は基本的に家にいて、それまでのように一緒にテレビゲームで遊んだり、親子三人で遊園地に行ったり、いろいろ私を楽しませてくれた。

とはいえ、母が父の浮気を許すはずはない。私と一緒にいるときには言い争うこともなく良い両親を演じてくれてはいたが、あくまでそれは表面的なものとなる。父は自分のベッドを客間に移動して母とは別に寝たし、食事の間も二人の会話は必要最小限にとどまり、もちろん、リビングルームでテレビを見ながらの一家団欒なんてものも全くなくなった。

そんな殺伐とした雰囲気にいたたまれなくなった私が自分の部屋へと逃げだすと、今度はドア越しに二人の怒鳴り合いが聞こえてくるのだ。

「普段あなたと話す機会がないから、この機会に言わせてもらうけれど、私はこの状況に納得しているわけではないわ。そんなこと、言われなくてもわかっているんでしょう?」

「……」

「とにかく、早く縁を切りなさいよ! どうせどこかの商売女なんでしょう」

「うるさい! 俺のやることにいちいち文句言うんじゃない」

「私という妻がありながら、なんて言い分なの?」

「お堅いおまえといると息が詰まるんだよ」

「じゃあ私、出ていくわ! 哲也を連れて」

「それは許さない。哲也は大事な跡取りだからな」

「そんなこと、勝手に決めないでよ!」

「うるさい! おまえだけ出ていけ!」

「イヤよ!」

そこらへんからは、母の泣き声だけが聞こえてきて、父の方はそれをかき消そうとテレビのボリュームをどんどん上げていく。そんな聞きたくもない壮絶な言い争いが毎週末繰り返されるのだ。そのたびに私は祈った。

神様、元の温かい家族に戻れますようにお力をお貸しください、と。

しかし残念ながらそれは叶わぬどころか、私が年長組に上がる年の春、父は完全に家を出て行ってしまう。

我が家から歩いて二十分ほどの広尾駅近くに出来た新築マンションの一室を買い、浮気相手の女性と暮らし始めたのだ。診察のある日は、そこから我が家一階のクリニックまで歩いて通勤してきた。

風の便りによれば、彼女は母のような一見冷たく見える美形ではなく、笑顔が素敵な可愛いタイプの人らしい。赤坂の高級会員制クラブのホステスをしていて、父の方から言い寄ったのが馴れ初めと聞いた。父の荷物は、私と母が予備校で不在のとき、叔母がこっそり引っ越し業者と運び出していた。

そうなると今度は、三階の祖母が黙っているわけはない。

※本記事は、2020年11月刊行の書籍『 守護霊塾』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。