彼はとても重たく見えるドアを、滑らかに開けた。

「先日は、ありがとうございました。放送は昨日でしたね。実は私はまだ観れていませんが、きっと、うまくまとめてくださっていますね」

彼がまだ、放送を観ていないことも、考えていなかった。確かに、その可能性は充分にあった。私は来るのが早すぎたと後悔をする。でももう、引き返せない。私はそっと、できるだけ自然に見えるように、手を自分の髪の毛から下ろした。

「そうですか。評判は、とても良かったと思います。放送を観て、お客様が沢山来てくれたらいいのですけれど」

私は次の一言がなかなか出ないまま、立ち尽くすことになった。

「シャツを」

「え?」

 私は彼を見る。

「シャツ。着てくれているんですね。どうぞ中に入ってください。今、お客様もいませんから」

私は、勧められて買った肩にフリルの付いたシャツを着てきていた。それもまた、恥ずかしかった。胸元のリボンを思わず触る。

あまりに、好意がむき出しになっているように感じて、顔が熱くなった。

「とても、気に入っています。正しく生きられるようになっているかはさておき、すごく、いい感じです。ありがとうございます」

彼は柔らかに笑いながら、ハンガーにかかったシャツを一枚ずつ触りながら話す。まるで、習い事に来た子どもたちに一人一人今日の具合や天気を聞くかのように、シャツを触りながら、話しかけている気がした。すると彼は、シャツにだけではなく私に語りかけた。

「シャツが並んでいるのを美しく魅せるには、色と高さや、カタチを整えていくことです。だからシャツもそうやって揃える。どこにも当てはまらないとっておきのものたちは、やはりひとつにまとめてあげるんです。あなたに勧めたそのブラウスも、とっておきのひとつです。60年代くらいの、フランスのものです。古いものだけれど、状態がとてもいいから、また長く着てもらえます」

「でも、ハンガーは、様々なのですね」

彼が触れていくハンガーを見ながら私は尋ねる。

「そうです。海外や、蚤の市なんかにいくたびに、ハンガーも一緒に見ます。木で作られていて、味わいがあるものを買います。もちろん新品もありますが、シャツが古いものには、やはり古いものが合う。だからハンガーは、バラバラなんです。でも絶対的にひとつでも共通しているものがあれば、バラバラでも整って見える」

彼の細い指が、ハンガーに触れる。

とても柔らかくゆっくりした動きは、私を落ち着かせた。

※本記事は、2020年5月刊行の書籍『触角』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。