我々人間界には絶えることのない争いが存在しています。争いが生じる主な根源には、1.人種・民族の差別、2.宗教の存在、そして3.主権国家の存在、の三大根源があります。これらがなぜ争いを創造するのか、そしてどうすれば人間界から争いを追放することができるのかについて思いをめぐらします。

科学の厄災化

⑨核兵器廃絶は実現不可能な幻想か?

核兵器は人類にとって絶対悪であることが明らかであるにもかかわらず、人間界はその廃絶をなかなか実行に移すことができないでいます。人類の存続を望むのか、絶滅を受け容れるのか、という問いを突き付けられているにもかかわらず、核廃絶などということは実現不可能な幻想なのでしょうか?

幻想であるなどとは思いたくもありませんが、幻想なのかもしれません。そうだとすれば、そのような情況を創造している真なる原因は、この小さな宇宙船地球号の中をさらに小さく間仕切りして多くの主権国家が存在している現実にあります。

世界中の全ての個(私人)の希望である命題は「平和」であることに対し、全ての国の持つ最終の命題は「戦争」です。

戦争の際相手国に勝利するためには、あるいは他の国から脅かされないためには、一旦手にした強力な核兵器を廃棄するなどということは国という視点からは考えにくいことです。

国の掲げる命題である「戦争」は、「国民(個・私人)のために、安全と、平和と国益を守らなければならず、それらが阻害されることがあれば、国は戦争を含めるあらゆる方策を採り得る」という前提の上に成立しているものです。

すなわち、「国を守るためには戦争をする」ということであり、この短い叙述の中に、既に個の命題と個の集合により成立している国の命題との間に絶対矛盾が生じていることが見て取れます。

人間界はこの絶対矛盾を放置したままその矛盾の中で行動しています。この絶対矛盾と国際間紛争の存在から生じて来た困難の一つが、一度導入したが最後、廃絶できないでいる核兵器の存在です。

相手側の核兵器が消滅しない以上、当方の核兵器も廃棄できないという抑止力の理屈に依拠しているからです。すなわち、国の近視眼的視野の中には戦争はありますが、平和による人類滅亡のリスク回避はないということです。

これは、人道、平和、人類の存続という全てに優先すべき世界のどの個にも共通である倫理が、戦争をするという国の道徳や正義に劣位している望ましくない状態です。

国は私人が公人となって機能しています。私人であって公人となった個は優先すべき倫理よりも正義や道徳に重きを置くという自己矛盾の中で行動していることになります。

ICANが個の命題である倫理に拠り、国の命題が正義や道徳に拠っているからには両者の立場は違っています。議論は進展せず、停滞する道理です。

かくして、個の命題と国の命題の矛盾が解決されない限り、国による核兵器の廃絶などは幻想でしかないことになりますが、我々人類にわかっていることは、その幻想を現実にするよりほかに人類が滅亡から救われることはないということです。