「チャップリンにしてみれば、それも欧米列強の軍事力にものを言わせたやり方とかわらぬ日本のエゴイズムで、不条理極まりないと思うでしょうが、先程もいいましたように、『兵は詭道なり』です。

『兵に常勢なく水に常形なし、能(よ)く敵に因りて変化し勝を収むる者は、これ神と謂(い)う』と、戦争は常識や定法にとらわれず、その時々の情勢に変幻自在に対応し、如何なる奇策や謀略を用いても、勝つことが唯一絶対の道であると説いています。それは弱肉強食の冷酷非情な国際社会で勝ち残るための兵法の、いわば『いろは』で、孫子(そんし)が生まれる遥か昔から、人間が繰り返し行ってきたことであると思います。

また、リンカーンではありませんが、それは人類が人類の歴史から学んだ人類の知恵であるといえば、チャップリンには身勝手な弁解と、あるい狡賢(ずるがしこ)い冗談に聞こえるかもしれませんが、それは日本一国のためだけではなく、先の悲惨な世界大戦を上回るに違いない、まさに、二度目の世界大戦を回避するという大義のためでもあり、チャップリンにも、国際連盟設立の第一の目的でもある世界平和のために一役買ってもらうことにしました。

ですが、如何に大義のためとはいえ、人として許されざる行為ですし、罪は罪として、私も何れ、それ相応の然るべき償いはするつもりです」

と田島は、その決意のほどを示すように唇を固く結んだ。山内大尉は、またコーヒーを口へ運んだ。そしてそれを静かに机に戻していった。

「たしかに、大義といえども、目的のためには手段を選ばずでは、欧米列強とおなじで、人は付いてこない、いや、むしろ反発を食らうかもしれない。

しかし、『堯(ぎょう)にも遺(のこ)す道あり、西施(せいし)にも醜き所あり』というし、かつて来日したこともあるロシアの皇太子ニコライ二世の一族が、全員容赦なく処刑されたというロシア革命や、マリー・アントワネットが断頭台の露と消えたフランス革命はいうに及ばず、我国の明治維新にしても、一滴の血も流さずに成就したわけではないからな。

司馬遷(しばせん)は、『天道是か非か』といっているが、私は、天道には是も非もないと思う。ロシアの文豪ドストエフスキーも、金貸しの老婆一人を、社会のため万人のために殺すことが、人として許されざる行為かどうかなどという問題は、ナポレオンなら、一顧だにしないだろうというような意味のことを、あの『罪と罰』の主人公のラスコーリニコフに自問自答させているが、きみも読んだかな?」

「はい、五、六年前に、大尉殿にお借りしましたので……」

「ああ、そうだったな。では、一昨年の春亡くなった、我国のマルティン・ルターといわれる進歩的なキリスト教徒で、『無教会主義』を唱えている内村鑑三(うちむらかんぞう)を知っているかな?」

「いえ、名前だけは聞いたことがありますが」

「そうか。いや、私も知っているというほどではないが、その内村鑑三が、『森羅万象(しんらばんしょう)、物事の真理は、ある一点を中心にコンパスで描いたような真円ではなく、地球が太陽の引力だけはなく、月の引力にも影響されて楕円軌道を描いて公転しているように、真理は中心が二つある楕円である』と、うろ憶えで正確ではないかもしれないが、そういう意味のことを何かに書いているんだ。

それを儒教的に、というより、浅学非才を省みず私なりに解釈すれば、孟子(もうし)の『性善説』に対し、荀子(じゅんし)の『性悪説』があるように、人は、そのどちらの説も普遍的な真理として受け入れると同時に、どちらにも偏(かたよ)らず、微妙なバランスをとりながら、曲がりなりも『天人合一(てんじんごういつ)』の中庸(ちゅうよう)を保って生きていて、そのバランスを失ったとき、人は過ちを犯してしまうということだと思うが、国と国との関係も同じように、絶妙なバランスを保つことが破滅を招かない秘訣だと思う。

つまり、きみばかりでなく、人はだれしもそうした二つの真理の狭間(はざま)で葛藤しながら生きているし、またそれが、神でも鳥や獣でもない人間の宿命というものだと思うんだ。

が、まあ、そういった深遠な問題は、世界的な文豪や、偉大な哲学者か宗教家にでも任せるとして、現実問題としては、大勢の若い兵士らの命を預かり、最前線に臨めば、時に決死の突撃も辞さない非情な決断を即座に下さなければならない軍人としては、きみのいう通り、上杉鷹山の一見冷酷非情とも思える超現実主義的な、『為(な)せば成る』の精神で臨むことこそが、現実に即した国家改造の第一歩といえるかもしれないな。

またそれは、強硬派のアジテーションを逆手にとったと同様、巷(ちまた)には失業者や浮浪者が溢れている一方で、いい歳をした大人までが現実に目を背けてチャップリンに浮かれているような、そんな世間の無節操で軽薄なバカ騒ぎを逆手にとったという点でも、まさにバランスを失った社会を正す臨機の知能といってもいいかもしれない。

ただ問題は、その毒は毒をもって制すというやり方は、諸刃の剣というか、匙(さじ)加減を一つ間違えたら、逆効果になってしまうリスクもすくなからず孕(はら)んでいると思うがね。

つまり、それは『桜田門外の変』や、近くは、浜口(はまぐち)首相の銃撃事件などの国内問題と異なり、『生麦事件』が『薩英戦争』に発展したように、イギリス艦隊を向こうに回すような大問題に発展したという例もあるからね。

また、数年前に来日した親日家のオーストリアの、フランツなんとかという皇太子が、セルビア人に暗殺された、かの『サラエボ事件』が、先の世界大戦の引金になったように、それが、石原参謀のいうように世界最終戦争とか、東西文明の衝突というのは少々オーバーとしても、日米開戦の起爆剤にもなることも、ないとはいい切れないしな。

あ、いやいや、さっきいった《ルシタニア号》の例もあるし、アメリカは今、自ら招いた世界恐慌で、我が国と同じように、やはり失業者や浮浪者が街に溢れ、未曾有の社会不安を抱えている時だし、それを打開するためにも、むしろ待ってましたとばかりに宣戦布告をしてくることも無きにしも非ずだ。国民の目を外に向けることで国難を切り抜けるというのは、洋の東西を問わず政治家の常套手段だからね」

と山内大尉は、お道化(どけ)るように眉を上げて笑った。

「常套手段かどうかは兎(と)も角(かく)、そうしたことも政治手法の一つかと思います。しかし、だからこそ、今回の計画の効果もあるのではないかと思います。

ですが、そのサラエボ事件が、世界中の国と人々を巻き込む悲惨な世界大戦に発展したのは、その後の、我国もふくめた先進列強国の、エゴイズム一辺倒の覇権主義が招いたことであり、列強各国の対応次第では、世界大戦にまで発展することはなかったろうと思います。すくなくとも、オーストリア周辺の局地戦で止めることができたかと思います。

たとえば、一方が知恵を絞り、兵を退くという思い切った策もあったのではないかと。もちろん、それには計り知れないリスクがあり、口でいうほど簡単ではないでしょうが、それも『成らぬは人の為さぬなりけり』で、けして不可能だったとは思いません。また今回の私の計画が、たとえ日米開戦の起爆剤になったとしても、少々乱暴な言い方ですが、その時期が多少早まるだけというにすぎないのではないかと思います。

いま徒(いたずら)に手を拱(こまね)いていたのでは、大尉殿のいわれたクリティカルな風潮も、ますます加熱し、先ほど大尉殿がいわれた日比谷公園の焼打ち事件のように、何事がなくても、戦争に突き進むことは必至かと思います。

しかし、国民が現実を直視し、それがけっして遠き将来の話ではないことを自覚すれば、これも大尉殿がいわれたように、日米の国力の桁違いの差を知らない者はいないでしょうから、それが如何に無謀で、破滅的なことかは、子供にも分かるかと思います。

そしてまた、石原中佐殿の『十年不戦論』や、『もし真に米国に対する能(あた)わずんば、日本は全武装を解くを有利とす』という見解が、捲土重来(けんどちょうらい)を期するための最善の策であることも理解すると同時に、来るべきその日に備えるためにも、国家改造が焦眉の急であることをだれもが自覚し、国民一丸となって国家改造に、邁進(まいしん)すると信じております。

今回のチャップリンの来日は、石原中佐殿の王道楽土の建設や、上杉鷹山の藩の財政改革同様、不可能と思われるようなことを可能にしてくれる『天与』のチャンスです。すなわち、図らずも巡ってきた『天の時』といってもいいのではないかと思います」

と、これも抑えた口調ではあったが、田島は熱い想いを一気に吐き出すようにいった。山内大尉は二度三度と頷き、いった。

「しかし、そうした『得がたきチャンス』は、時に判断を誤らせ、それが命取りにもなりかねないというような意味のことを、これも以前、何かで読んだような気がするが、それとも何かまだ、その後の戦略なり、秘策でもあるのかな?

あ、いやいや、その昔、伊藤博文公が若さにまかせて英国公使館を焼き討ちしたように、確固たる戦略や成算なくして、きみがアメリカ大使館を焼き討ちするような、そんな一(いち)か八(ばち)かの大バクチを打つわけがないな。それなくして、さっきいってたような、目が覚めたら最前線に飛び出していたなんていう、そんな夢のような奇想天外な計画を立てるわけはないな……むん、そうなんだろう?」

と、山内大尉の表情は、日陰からいきなり日向(ひなた)に出たように変わった。

※本記事は、2019年4月刊行の書籍『泣いてチャップリン』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。