そして順番が来た。スタートした。

腰を屈め前傾姿勢をとると冷たい空気が額から頬を刺すように通り過ぎた。

スピードが増し助走路の先端が視界に入ってきた。

今だ!

と思うと同時に飛び出した。

下を見るとこれまで経験したことのない高さだった。

恐怖心のあまり、一瞬気を失ったような気がした。

そのときからほんの数秒の記憶がない。

転倒し、空を見上げている自分に気づいた。なぜか両足が浮いているように感じた。立ち上がろうと頭を動かそうとしたが、上がらない。両肘で体を起こそうとしたが力が入らない。尋常でないことが起こったと悟るのに時間はかからなかった。

一瞬「一生歩けないかもしれない」との絶望感が頭をよぎった。

解剖学で神経が切れたらそこから下の体は麻痺してしまうことを習った。

「うわーっ!」と叫んだが声になっていないのか、自分には聞こえなかった。

人が集まって来ているような気配があり「大丈夫か」と覗き込むように顔を近づけている男も見えたような気もした。

幾人かの人で作られた顔の輪が見えた。

薄らいでゆく意識の中で「担架だ、担架を持ってこい」と微かに聞こえた。

その後救急車の中であろうか、時々サイレンの音がしたのが記憶に残っていた。車体が大きく雪の上を上下に動いたときに聞こえていたようだ。さらに硬い物の上に寝かされたような感触と、複数の女性の話し声とともにジョキジョキと鋏で何か切っているような音、頭にも刺すような痛さを感じたが、いずれも遠いどこかで夢を見ているような記憶であった。

※本記事は、2020年10月刊行の書籍『季節の向こうに未知が見える』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。