第1章 中学時代の〔管理主義〕体験──「頭が固くなってるんですよ」

〔管理主義〕から生まれた反骨心──「学校を変えてやる!」

それから5年後、妹の時代になると学校でのバンド演奏、それもかなり激しいロックの曲も許されるようになっていた。頭の固い先生は退職し、〔管理主義〕の中心を担っていた強面の体育の先生も異動し、とんでもなく学校が荒れていた時代にである。

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「ロック」が若者の文化として認められ、エネルギー発散、自己表現・自己実現の象徴として受け入れられた、ということなら、それはそれで歓迎すべきことだが、泣き寝入りするしかなかった自分の中学生時代、「時代の流れについてこいよ!」と、当時の職員室に向かって大きな声で叫びたい。

ところで、〔管理主義〕については、この後に語られるいくつかの事例とともに思索を深めていかなければならないところではある。母校においては「体罰」は当たり前で、その逆の「対教師暴力」も頻繁に起こっていた。

その意味ではどっちもどっちだが、生徒の顔を殴ろうとした拳が、それを避けようとした鼻をかすめてしまい、鼻骨を骨折した、などという事件も起きていた。昨今ならニュースになり、「体罰教師」として吊し上げられ、処罰されるのだろうが、当時は日常茶飯事だったからか? それとも隠蔽するのが上手だったからか? 

今となっては突き止めようもないが、全く表面化することはなかった。さまざまな体験が身体に刻み込まれ、中学校を卒業する頃には「教師になる」という将来の進路希望をはっきりと持っていた。

残念なことに、「あんな先生になりたい」という素晴らしい教師に出会ったからではなく、「教師になって、学校を変えてやる!」という思いを強く抱いていた。それがいかに遠く、険しい道であるかを知る由もなく。

拙著『公立中学校における教育相談推進を妨げてきた要因の考察』(京都大学大学院入試論文 2004年)の「あとがき」では次のように締めくくった。

「自分が中学生だった昭和50年代前半、私の中学校が特にその傾向が強かったのであるが、『超管理主義』とも言える、押さえつけ・教え込みの教育が行われていた。力の強い体育教師が生活指導主任として君臨し、問題行動に対しての厳しい指導は元より、非行の芽と思われるもの(教師の主観・偏見にすぎないが)も学校へは寄せ付けない、徹底した生徒指導が行われていた。