隠れている職場の期待

ストレスの感じ方に非対称性が生じるのは、ストレスを感じる基準のものが人としての期待だからです。期待は、応えてくれる人がいなければ成り立たないものだからです。期待という精神的に深いところで人を支えている事柄が、求めようもないという事態に陥るからです。

そしてもうひとつの理由は、周りの人が、幾ばくかのやり取りとストレスの中で(勝ち目がない)と感じることです。発達障害の傾向がある人は悪いことをしているという意識はありません。

むしろ、自分の意識は自分自身で満たされているので、他者の認識が薄く、ほかの人がどう感じているか、あまり考えず興味も薄い。なので、こちらの内的な感情を察して行動してほしいという期待は、届きません。ストレスを感じ、悩みつつやり取りをする中で、相手の変わらなさ、その都度裏切られる痛みを感じ、自分よりも数倍強い、人としての強度を感じます。何を言っても何をしても通じない。ここにも非対称性があります。

しかし、発達障害の傾向がある人は、そんなふうに思われていると感じないでしょうし、なぜそうなのかもわからないでしょう。そこの感受性が低いといったほうがよいのでしょう。それは決して、彼らの意図した、意識した戦略ではありません。

そのため、はっきりと伝えないまま、伝えなくともわかっているだろうと思いがちで、彼らに伝えられる時は、叱責や否定的評価など業務上の決定的なことになってしまいます。

ストレスの感じ方の非対称性は、周りの人の仕事をする際の期待と、発達障害の傾向がある人の期待を察知することができない強さに起因します。