日本古来の歴史認識に基づく計画

須佐之男命が、天照大御神に高天原を襲うつもりなのではないかという誤解を抱かれ、それを解くために、高天原を流れる天安河を挟み、互いに、宇気比(誓約)を行い、三柱の女神と五柱の男神を生んだ話になります。

疑いが晴れたあと、五柱の男神は天照大御神の子供に、三柱の女神は須佐之男命の子供となりました。五柱の内、天之菩卑能命の子供の建比良鳥命が、出雲国造や遠江国造の祖となりました。

出雲国造は、出雲大社のある島根県や、祖父靖国の出身地である鳥取県に縁があり、遠江国造は、伊藤博文暗殺後に韓国併合が行われたのちの、明治44年(1911年)李王垠殿下の別荘としてあてがわれた、楽寿園があった静岡県に縁があります。

楽寿園は、明治維新時の戊辰戦争功労者の小松宮彰仁親王の別邸だったものが、併合により国譲りを行った形になった、韓国の皇太子の別荘とされたものです。留学中の李王垠殿下が、自身の別荘地を選べるわけもなく、大政奉還を行ったあとに、徳川慶喜が駿府に退いた事例同様、この別荘の件も、国譲りを行った大国主命の子供である事代主神が伊豆下田にこもった例にならい、国によって図られたものでした。

また、楽寿園側の静岡県にある浅間神社は、富士山を挟む祖母千代子の出身地山梨県にもあり、祭神は国譲りののちに天孫降臨を果たした瓊瓊杵尊と結婚した木花咲耶姫となります。そして、天照大御神と須佐之男命が対峙した「天安河」が「天の川」と解釈され、日本と朝鮮半島を隔てる日本海や漢江がそれに当たるとされたのです。

[図表]古訓古事記(昭和3年・1928年)より「天安河の宇気比」(出典:国立国会図書館ウェブサイト)
※本記事は、2020年10月刊行の書籍『受け継がれし日韓史の真実 ─朝鮮引揚者の記録と記憶』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。