忠実の推挙に拠りて頼長は内覧の位をおほせ付けらる

*仁平(にんぺい)元(一一五一)年、父、忠実の強い要請により、鳥羽院の内覧宣下あり。頼長三十二歳。

【近衛天皇呪詛事件】

 

忠通と頼長の執るまつりごと競ひあふゆゑうまくゆかざる

*この時、忠通は関白。関白と内覧には、地位の差はなかったといわれる。どちらも天皇を補佐する官職。

 

摂関家に生まれし二人の策士ありさきに時平いまは忠通

*藤原時平(八七一~九〇九)は、関白、基経(もとつね)の長男。醍醐(だいご)天皇のもとで、菅原道真(すがわらのみちざね)とともに政(まつりごと)を執り行った。

※本記事は、2013年2月刊行の書籍『花と散りにし』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。