第2章 出会い

「ピポーピポーピポー」

けたたましく鳴り響くサイレンが大学病院の救急口に入ってきた。実業家で大富豪の織田が脳梗塞で運ばれてきたのだ。織田は80歳、日々元気に過ごしていたが、突然「頭が割れるように痛い」と訴えた。脳梗塞である。

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家族は慌てて救急車を呼ぶ。幸い、処置が早く後遺症も無く快方に向かっている。この病院は大学の付属病院で、織田の主治医は脳外科では「神の手を持つ」と言われている本多教授である。

入院して4日ほどした朝、本多が若い担当医と4名の看護師を連れて回診してきた。カルテに目を通しながら担当医と何やら話している。

「織田さん、早期治療ができ、どこにも後遺症が出ませんでした。良かったですね。このままですとリハビリの必要もありませんから、後10日ほどで退院ですね」

それを聞いて織田はにこやかに、

「先生ありがとうございます。先生のおかげです」

本多は織田の脈をとりながら、

「これからは健康に気を付けて、軽い運動と食事療法が必要です。退院の日までに食事療法士にこれから注意すべき食事について説明させますので時間を取ってください。奥さんもご一緒に聞いていただきたいのでご連絡しておいてください」

織田は、空気中の細菌を浄化する空気清浄機を製造するメーカーを経営していた。彼が丁度空気清浄機の開発に成功した頃、鳥から豚にインフルエンザウイルスの感染が広がり、そして最も恐れていた豚から人間への感染が始まった。人間の間に広まったウイルスは空気感染で電車、航空機、劇場、競技場などで一気に広がり、世界中が大混乱することとなった。

ウイルス感染者は、世界中で1億3千万人にも上り、大流行した。しかも死亡率20%以上と言われた。このウイルスはアザミの花に似ていることからアザミウイルスと呼ばれた。このウイルスを99%以上除去し空気感染に対応するということで空気清浄機ORITAは世界中で販売され、それがきっかけとなって織田は世界屈指の大富豪になったのである。

70歳になったときに後進に道を譲り、今では悠々自適の生活を送っているが、彼の研究家としての精神は衰えることはなく、退職後もORITA研究所の所長として気ままに好きな研究を続けている。彼の研究所では、企業の枠からはみ出したようなちょっと風変わりな研究者が多く、研究課題も自由気ままである。