つまり、この街に後期高齢者が住めば、車椅子や歩行器を使いながら、ショッピングモールへ行き、買い物や各種の公的手続きを済ませることができます。さらに重要なことは健常者と同じ空間に住まい続けることで、社会との断絶がなくなります。建築コストが安いからといって街から遠く外れたところに高齢者だけを住まわせる施設って、自分が住むとすれば寂しく感じませんか?

人間は社会や人との繋がりなしでは生きがいも役割も、選択の楽しみも失われてしまいます。日本では、このような思想で街作りを行うのはこれからだと思います。特に地方では、このようなコンパクトシティを作らざるを得ないのではないでしょうか。

このような学習から、私は理想のグループホームを建てるにあたり、社会から隔絶されぬよう、市街地の中にあり、買い物に行けること。そうはいっても交通量の多いところに面していないこと。自然環境がそばにあること。広い庭を持つこと。これらが、理想のグループホームを作る上で、重要なんだ、これらの条件に合致する土地選びが重要だと母に伝えました。

これは、いい庭を潰してまで二つ目のグループホームを建てたことに対する批判も込めていました。

その2週間後、頼んでもいないのに「美しが丘にあんたの言う条件にあった土地があったよ。まだ、原野だけれどどうする?」と連絡がありました。批判してしまった手前、引っ込みがつかなくなりました。

また、学んだ知識を活かしたい欲求も湧いてきました。こうして、大通りから少し入った閑静な住宅街とモモセ乗馬場の大きな林に囲まれたところに土地を購入しました。

さて、建築にあたり、土地の基準を調べたら第1種低層住宅専用地域、高さ制限10m、建蔽率40%、容積率80%と商業施設を作るには使い勝手の悪い土地だと知りました。それにしても手際が悪すぎですね。ここでも、いかに間違ってやってしまったかおわかりいただけると思います。

商業的に建てられないなら、仕方がない。むしろ建蔽率の低い土地は広い庭を作るのにうってつけと割り切って設計することにしました。利益効率よりも逆境を跳ね返し、理想の終の住処を作る挑戦で、社会貢献ができるからいいという思いで突き進むことにしました。商売をやったことがない怖さでしょうか、若気の至りとでも言いますか、振り返るにずいぶん大胆なことをしたと思います。

ただ、スウェーデンで学んで来たことを実行して、失敗する気はあまりしなかったですね。それだけ、スウェーデンでの街作り、高齢者介護学に納得できるものがあったのです。

住宅の形についても継続性、すなわち、わが家と思ってもらえる施設の形はどんなものか考えました。高齢者住宅はどうしたって、自分の家ではありません。でも多少なりとも親しみを持ってもらえる形とは?

自分が見学した中では多くの施設はやはり施設でした。どこか親しみがわかない。

※本記事は、2021年1月刊行の書籍『安らぎのある終の住処づくりをめざして』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。