うどんをそろそろ食べ終わろうかという頃だったでしょうか、いくらか覚束ない足取りで店を出て行った男性は、間もなく1個の桃を手に戻ってきました。そしてそれを、食事のオマケとでもいわんばかりに私にくれたのでした。採れたてだし冷えてはいなかったものの、その桃の甘かったこと。

その後これ以上に甘い桃を食べたかどうか、それは定かではないながら、30年以上たった今でも、この時のことは割合鮮明に記憶の底に残っています。

このツーリング自体は、断片的というより、ほぼ忘れかけています。何処に行った帰りなのか、何処をどう走行したのか、押入れの奥にしまった古いアルバムを掘り起こさない限りは、記憶を辿るだけ無駄骨に終わるでしょう。

ですが、このランチ・タイムだけは、カットされてしまった他の場面と異なり、極カラー彩色で目に浮かんできます。これを旅と呼んでいいものなのかどうか、私には判断つきかねます。

でも、往々にして、旅なんてこんなものなのかもしれない。たかが1時間足らずの、小さな出会いであり、1シーンです。おそらくは大した会話はしていないし、向こうは私のことなどすぐに忘れてしまったかもしれない。

それでも、どこかほのぼのとし、こんな出会いがまたあればいいと思えます。

登山が主目的の旅でも、人との出会いがいい印象をもたらすことが少なくない。メル友になったり、時には食事をしたり飲みに行ったり、そんなこともないわけじゃありません。これは稀な例ですが、たまたま同じ山小屋に同宿したカップルが、その後私が愛のキューピッドとなり、結婚に至ったことだってあるのです。

今更ながらですが、人との出会いは、旅の醍醐味のひとつなのかもしれません。勿論、歓迎したくない、想い出したくもない出会いだってあるかもしれません。

ですが、世の中というのは、人生というものは、そうそういいことばかりじゃないのが常です。いいことばかりだったとしたら、いいことがいいことではなく普通のことになってしまいます。ほんの一瞬の小さな出来事で、人生観が変わるとか人生の分岐点になった、人生そのものを一変させるだとか、そんな大仰なものではありません。

ただ、こんなことが再演されるのをちょっぴりは期待しながら、また旅に出ようという気になるのかもしれません。

※本記事は、2020年12月刊行の書籍『旅のかたち 彩りの日本巡礼』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。