桃の想い出

以前自動二輪の中型免許を持っていて、ツーリングにでかけたことがけっこうあります。勿論海にも行きましたが、登山を始める前後からは、高原あるいは山間道路を走行するのが主流となります。

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伯父宅に近い裏磐梯や那須、あるいは上州路の経験もありますが、甲州街道を伝っての甲州・信州の旅が多かったでしょうか。上高地や安曇野、立山・黒部方面を、連泊で走破したこともありました。

最初に購入したのは80㏄のバイクでしたが、その後は――燃費がいいのと税金面でも経済的なので――250㏄のバイクを何台か乗り換えました。これだと遠出もまあまあ楽で、山道でエンジンが焼けついたり馬力が落ちたりするようなこともありません。

何度かは登山が目的で、ザックを積んでハンドルを握ったこともありました。それだと体力面でかなりハードだったし、そのうちツーリングそのものに魅力を感じなくなり、30才を過ぎた頃だったでしょうか、免許を更新せず失効させてしまいました。

今でもバイクに乗っている夢をたまに見ますが、他人が「勿体ない」というほど、本人は残念に思ったことはありません。

まだ80㏄のバイクに乗っていた頃、初夏の甲州路にでかけました。何や何処が目的だったかすら忘れてしまいましたが、昼時にさしかかった頃合いだったでしょうか。場所は、現在の駅名でいうと「勝沼ぶどう郷」あるいは「塩山」辺りだったと思います。

この周辺には果樹園がけっこうあり、その一帯を走行していたのでした。ブドウや桃を収穫できる以外にも食堂を兼備した果樹園があり、そこでランチをすることにします。カウンター席に座り、うどんを注文したような記憶があります。

そのすぐ傍らでは、1人の中年男性がその時間から酒を飲んでおり、出来上がりかけた塩梅(あんばい)です。どうもその果樹園兼食堂の経営者らしく、この日には車を運転する必要や仕事もないのか、その時間からの小宴会が可能だったのでしょう。

20歳前後の私は、その方からすれば息子のような年代です。何を喋ったか憶えてはいませんが、歓談したことだけは確かです。