(4)太陽祭祀を行う卑弥呼にとっては、自分の行いが太陽神の逆鱗に触れたと悟り、闇の世界に消えていく太陽神に自分の責任のせいであると顔面蒼白、心肺停止のような大ショックを全身に浴びた。日の巫女としての責任の重さに耐えかねて、正常な意識を失い自害したと考えられる。皆既日食が観測され、太陽の死が卑弥呼の死へと連動した可能性が大。

(5)古天文学という天文学の新しい分野を創設した斉藤国治先生、東大の理学博士で東京天文台に長く勤められた天文学者である。

(6)卑弥呼が死んだ後のことは「倭人伝」に「死亡して、大きな墳墓、差し渡し百歩、百人の殉死、国が乱れて再び戦が起き、千人が殺された。再び卑弥呼の宗族の臺与(豊与)十三歳が女王に選ばれて戦は収まった」「国境警備隊長・張政を送り、朝貢した。男女三十人、真珠五千粒、大きな翡翠の玉二個、錦二十匹(四十反)」

(7)二四七年五十七歳で死亡。先代の卑弥呼から二代目の日巫女の臺与(豊与)で七十年間の政権であった。

※本記事は、2020年11月刊行の書籍『邪馬臺國は豐國にあり 歴史学と考古学から読み解く⽇本古代史』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。