小母さんは、京都弁のネイティブ・スピーカーだ。はんなりとした本物の京都弁を聞くのが楽しみだった。入居者が指定日以外の日にゴミを出していたら、一旦自宅に持ち帰り、指定日に出し直す。町内に迷惑をかけない気配りをされる方である。

冬、帰宅して、暗く冷たい部屋に、炊き込みご飯やおでんが差し入れてあった時は、体の芯にポッと火が灯った。留守中の点検で忘れられない思い出が三つある。

その一。朝、洗剤の粉を誤って玄関の土間にぶちまけてしまい、一面真っ白になった。「ええい、ままよ」とそのまま登校したが、帰宅時、掃除がされ、靴まできれいに揃えられていた。

その二。ベランダに何日も干しっ放しにしていた数枚のパンツ。気が付けばきれいに畳まれて箪笥の前に置かれていた。

その三。毎月、購読していたセクシー系男性雑誌を読み散らかし、床に放置したまま油断していたら、バックナンバー順に角を揃えて部屋の隅に積み重ねられていた。

その一とその二は、大変申し訳なく、早速大家さん宅に感謝の気持を伝えに行った。しかし、その三の場合、どのような気持を伝えるべきか、大学の友人に相談した。

卒業後も年賀状のやり取りだけでなく、僕の実家に、大家夫妻が遊びに来たこともあった。その際、僕の勤務先の上司にぜひ一言ご挨拶をと言う小父さんを思いとどまらせるのに多大な努力を要した。

結婚した時は、女房を連れて挨拶に伺った。その時、料亭でお祝いまでしていただいたが、食事中、小父さんが胸を張って女房に宣言した。「この人の部屋に、若いおなごはんが、来はったことは、一度もあらしまへん!」と。それを聞いた女房は「身持ちが固い人」と安心したのか、「そんなにモテなかったのか」とがっかりしたのか。未だに、その解答を聞き出す勇気を持てずにいる。

小母さんが亡くなり、そして小父さんが亡くなり、西陣に僕のことを覚えている人がいなくなって久しくなった。