高校一年の冬に初めてのひとり旅で来たのもこの街だ。その後、京都大学の試験を受けるためにもやってきた。結局、東京の私立大学に通うことになっても、この街にはいくどとなく足を運んだ。

いつのときもひとりだった。人気のない寺から寺へと歩いてたどり、青年らしい感傷で胸をいっぱいにしていた。社会の厳しさなどとはまるで無縁な時代だったから、夢ばかり追っていた。そして、夢はかならず実現するものと信じて疑わなかった。

けれど、そんな時代から時を経たいま、当時の夢のひとつでもぼくはかなえているのだろうか。たとえかなえていないにせよ、その過ぎた時間に見合うだけの何者かにぼくはなっているのだろうか。これはと胸を張れるものがただのひとつでもあるのだろうか。

正面の高台に寺がある。石垣で固められ、黒い山門や幾多の堂宇が重なりあって、まるで城かと見まごう物々しさだ。景色のなかでひときわ威容を誇っている。なのに、その寺が何かをぼくは知らない。いや、そこにそんな寺があること自体を今日までぼくは知らずにいた。いくど訪れたかわからない京都なのに。京都に対する知識や思い入れならだれにも負けないつもりでいたのに。

それがぼく自身のこれまでの、不徹底な生き方そのもののように思われた。午前中、ホテルからほど近い南禅寺に出かけ、大方丈の縁側に腰を下ろした。目の前に広がる枯山水は小堀遠州の手になるもので、京都を代表する庭園のひとつだが、それを鑑賞したいという関心はなく、膝の上に開いたノートにただペンを走らせた。典子と別れてからのぼくは、どこへ出かけるにも、ペンとノートを携えるのが習慣になっていた。

離婚後、電話の向こうで典子は言った。

「あなたが私に対してほんとうにすまないと思うのなら、あなたが私にしてきたことを何年何月何日と日付を入れて書き出し、どれほどあなたが私を粗末にしてきたかを目を背けずに振り返ってほしいの」

その言葉は、直前に受け取っていた典子からの手紙とともに、眠っているも同然だったぼくの目をはっきりと醒まさせてくれた。とともに、どれほど大きなものをぼくが失ったかということに、初めて気づかせてくれたのだ。

それを機に、典子と暮らした二年の日々を思い出すのがぼくの大事な仕事となった。

※本記事は、2020年11月刊行の書籍『シンフォニー』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。