謎が謎を呼ぶ、長編ファンタジー小説、前編。
就職を機に上京した橘子は良き先輩社員に恵まれ、
消息不明だった幼馴染・清躬との再会も果たす。
一方、清躬の戀人・紀理子は忽然と姿を消す。
そして、橘子も謎の屋敷の者たちによって危機に陥る。
「希望は蜘蛛の糸に過ぎない」と言われた橘子だったが――
第一部:1 訪問者
橘子は「えっ?」とかえすだけで、とまどいの表情をうかべるしかなかった。チャイムの音で玄関の戸を開けると、そこに現われた女性は、笑顔がとても素敵で感じがよかった。最初の「こんにちは」も爽やかな声で、礼儀正しいお辞儀にかしこまるくらい、きちんとして見えた。
ところが、お辞儀から顔を上げてこちらを見る女性の眼は、見開いたままかたまった。そのおおきく美しい眼に橘子は引き込まれそうになるのを感じつつ、自分も挨拶をかわそうとする間もなく、相手の発した言葉─
「あ、あの、妹さん?」
─えっ?
橘子のとまどいの色は、相手の女性にも伝染する。まるで鏡にうつされたかのように、その口が小さくぽかんと開いた。それを見て、自分もおなじ口の開き方をしているとおもったほどに。続けて、相手からも
「えっ?」
というのが見えた。声ではなく視覚的に。
その「?」をくるむ空気のかたまりが二つ宙にぷかりと浮かび、そのくるりとした曲面が空気全体に波を広げて、時間も一緒にくねらせているかのよう。もう一度「えっ?」ときこえたが、それが相手の言ったことなのか、それともさっき自分が言った言葉がくねった時間の所為でまたきこえたのか、さてはまた、自分が二度言ったのか、いずれとも判然としない。
なんだろう?
自分がそうおもうと、おなじおもいが相手からも吹き出しで出ているのが見えるようだった。このひとはなにもの?その内心の問いもまた、鏡のように反射されてかえってくる。
私は何者?という問いになり、橘子はとまどう。眼の前の女性は自分くらいの年頃で、相手が鏡に見えてもおかしくない。かの女の表情がかわらないのは、自分がずっとおなじ表情だからか。
橘子は口許を緩めた。とまどった時によくする癖。ぽかんとしていてもしようがない。やっぱり鏡だわ。相手の女性も口許が綻ぶ。かの女は、それから、眼許も和らげる。幾分相好がくずれたが、柔らかい表情になる。緊張が解けて、このひと綺麗だわと素直にそう感じた。
【相生 上 登場人物】
檍原橘子 20歳。地方の短大を出て就職で上京。
檍原清躬 20歳。橘子の幼馴染。特殊な絵の才能の持ち主。
清躬の父
清躬の母
棟方紀理子 20歳。大学生。清躬の戀こい人びとだが、別離した。
津島さん棟方家のメイド。
小鳥井和華子 橘子、清躬の小学校時代の憬あこがれのおねえさん。
和歌木先生 清躬の小学校四年生の時の担任の先生。
杵島紗依里 一時期、清躬の親がわりとなった女性。
鳥上海祢子 橘子の職場の先輩(教育指導係)。
緋之川鐵仁 橘子の職場の先輩。
松柏さん 緋之川の戀人。
寮監さん夫妻 橘子の住む寮の管理人夫妻。
会社の健康管理室の看護師
小稲羽鳴海(ナルちゃん)9歳。清躬となかよしの利発な子。
小稲羽梓紗 鳴海の母。同居はしていないが、神麗守の母でもある。
和邇青年の想い人 梓紗の母。和邇の青年時代に戀い憬れたひと。
神麗守(小稲羽神陽農) 15歳。和邇家で養育されている。
紅麗緒 15歳。神麗守と一緒にくらしている。
和邇のおじさん 資産家。東京に大きな屋敷を構えている。
根雨詩真音(ネマ) 20歳。大学生。彪のグループメンバー。詩真音の母和邇家の家政を担当。
隠綺梛藝佐 23歳。和邇家で、神麗守、紅麗緒の養育を担当。梛藝佐の姉医大を出て、病院勤務。和邇家の主治医。
和多のおじさん、おばさん 和邇の元部下。建設会社などを経営。
楠石のおじさん、おばさん 和邇家の車まわりや庭の手入れを担当。
稲倉のおじさん、おばさん 和邇家の賄を担当。
香納美(ノカ) 20歳。稲倉夫妻の子。大学生。彪のグループメンバー。
柘植くん 香納美の戀人。彪のグループメンバー。
神上彪 詩真音から「にいさん」と呼ばれている。
桁木紡羽 彪のグループメンバー。伝説の武道家の娘。
烏栖埜美箏 彪のグループメンバー。扮装の名人。