病室にて

患者の、ある光景が目に浮かんだのか、三階の外科病棟まで階段を一気に上っていく。そして今度はゆっくりした歩調で、ある病室の前で立ち止まる。病棟は、まだ静まり返っている。佐藤は、入院患者の名前を確認すると、軽く咳払いし、それから辺りに目を配らせてからドアをノックした。そこは四人部屋だった。

ノックの音で、物憂げな患者たちの視線が一斉にドアの方へ向けられたが、お目当ての患者の姿は見当たらない。空白感の漂う病室の一番端の方、ちょうど窓際のベッドに、やや放心状態の患者が静かに横たわっている。佐藤は舌を鳴らすと、近づいてひょうきんな声を張り上げた。

「びっくりしたぜ、マムシなんかに咬まれたりして──」

そう言うや否や、

「ほら、お前のことが今朝の新聞に載っているぞ」

と佐藤は、持ってきた新聞を患者の胸もとへ無造作に投げたが、患者は反応を示さない。患者の、ほぼ潰れかかったような瞼は宙を向いたままで、体を重そうにベッドに沈めている。

「大島──」

何回か声がした気がして、沈みかけていた意識が徐々に呼び戻される。また声がした気がして、そばに人の気配を感じると、大島はようやく目をしばたたいた。

大島の、ひどくやつれたような顔に、カーテンの隙間から洩れる朝日に混じって男の姿が浮かび上がったとき、おやっと思った。そこには見慣れた顔があったが、一瞬、思い出せなかった。見返していると、それが佐藤であり、会社の同僚のなかでも偏屈者で通っている男だと分かると、驚きよりも急に嫌な気持になった。

なぜ佐藤がそこにいるのか。

※本記事は、2020年12月刊行の書籍『青二才の時間の幻影』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。