第二章 渡海:帰航

また一九八五年八月、シーガルV号を仲木に停泊させていた時の事である。夜半から逆にナライが連吹して南伊豆は大時化となった。我々はこれでは磯遊びができないと判断、早朝海が凪いでいるうちに西から脱出する事にした。

ハイパロンなど全ての積載物をきつくラッシング(ロープなどで固定)して出港したが南伊豆の海域は朝凪など関係なく恐ろしい様相を呈していて、石廊崎そして爪木崎を西から押し上げ抜けようとする海流をナライが持ち上げて、岬の海域一帯には巨大な三角波が立っていた。三角波とは波長が短く、うねりとは異質の船にとっては厄介な波である。

爪木崎ではさらに波高が増して正面から吹き付けるナライの風圧をバウに受けて爪木を越える事に危険を感じたが転覆が怖く、転進して下田に逃げ入る事ができない。要はビーム(船幅)三・一メートルのヒップ美人と自慢していたシーガルⅤ号のスターンは三角波で右に左に大きくローリング(横揺れ)し、操舵で立て直せない危険な状態に陥ったのだ。

この海域が魔の爪木崎と言われる所以である。私は一基一七五HPの左右のエンジンの推力を駆使し、ビームを立て直し続けながら艇を進め、一時間掛けて爪木崎を交わして稲取港に逃げ入る事ができた。恐ろしい経験の一つであった。

海の怖い話は荒れ狂う時のその姿だけではない。伊豆の海を楽しみ続けていた頃、式根からの帰航時に海の将来を暗示するような光景を見た。ビニール袋である。

母港への指針である大室山を遥か北に定めて気持ち良くジェイムスラストの軽快なブラスの響きを耳にしながらフライブリッジで舵を握っていると、あく迄も青く透き通った海に西日を受けて白いビニール袋が漂っているのを見た。まさかこの神聖な海にとの思いが強く嫌なものを見てしまった後味の悪い思いをした。