次の日、風間が病院に老人を迎えにいくと、老人は一人で朝ごはんを黙々と食べていた。

「体が大分弱って、ボケていますよ」

事情を知っているのかいないのか、看護婦さんの一人がそっと耳打ちしてくれた。

お金を払って外に出ると、よく晴れた冬の日だった。光が透明な粟粒となって病院の枯れ木に反射している。遠く子供たちの遊ぶ声が聞こえた。

老人は息をついてよろめいた。何事かぶつぶつと呟いた。昨日よりは大分しっかりしていそうだった。

「誰かお知り合いはいますか」

風間は耳元で大声を出してみた。老人はびくっとしたように歩き出したがまたよろめいた。

「お子さんとかお友達とか」

すると、老人はおかしな動作をし始めた。手で胸のところを引っかくようにする。初め、風間は何か発作でも起きたのかと思った。だが、その様子は何かを探しているようでもある。

「ない」

呟くように老人が言った。ふと思いついて、風間は昨日老人がきていた衣類をバッグから取り出した。すごいにおいを我慢して胸のあたりを調べてみる。

すると、服の内側に紐が取り付けられており、定期入れのようなものがぶら下がっていた。私はアルツハイマーの患者です。もしも私を見つけられたら、次の電話番号にお知らせください。そう書いてある。風間は歓喜した。

※本記事は、2020年10月刊行の書籍『百年後の武蔵野』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。