私は土産を買う時、自分自身に対して何を残すか、それを第一に考えます。そして他者に対しては、いかにそれに近づけるか、を自問自答します。思えば、家族や私の両親を伴ってでかけたことが何度かあります。まだ子供達が幼い頃、それはおそらく中学生になるかならないかという頃でしたが、毎年の年賀状を作る際に、家族写真を添えていたのです。それは駒沢オリンピック公園だったり、赤城山の紅葉狩りだったり、時にはディズニーランドだったこともありました。

その中で忘れがたいのは、長男坊が結婚したての頃、箱根火山の一峰である岩戸山を訪れた時のことです。熱海峠から山頂を経て湯河原に下山したのですが、途中、ルートが長年使われていない、要は人に踏まれていなかったためか酷い藪になっており、かなり難渋させられました。

私1人ならまだよかったのですが、義理の娘も一緒です。時間にしたら30分足らずと思いますが、やっとの事で住宅地まで出て、それ以降はミカン畑の中の坂道を進みます。すると農作業中の農家の方がおられ、あいさつを交わすと、私達4人に収穫したてのミカンをお裾分けしてくれました。ミカンを手にしてご機嫌の嫁の写真が残っていますが、嫁を含めて長男坊夫婦がどう思い感じたのか、それは不明です。それでも私はこの時、(《彼等はまだ登山歴が浅いのに》ツイてるな)とほくそ笑み、未だに鮮明に記憶しています。

この時のことは、何十年かの人生の中の、たった1日のうちの一瞬の出来事です。子供達に問えば「オヤジとの大した想い出はない」というかもしれません。しかし、私にしてみれば、ほんの一瞬の農家さんとのふれあいや、たった数個のミカンにしろ、こんなほのぼのして有り難い土産は他にないとすら思えます。高価なものでもなければ、形にも残らないのだけれど、心の宝とも評すべき土産話に他なりません。

※本記事は、2020年12月刊行の書籍『旅のかたち 彩りの日本巡礼』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。