この演奏会は、特に破鏡楽家柴田環の出演とあって演奏内容の紹介もさることながら、彼女の去就に話題が集中した。新聞は「離婚事件で楽界より葬られた柴田環の返り咲き」と見出しをつけ、「一年ぶりの女史の出演は一般の好奇心を喚起して、当夜の有楽座は近来の盛観を呈すべし」と結んでいる。再び長耳生の演奏評を紹介する。(5)「珍らしい人」と小見出しをつけて次のように記している。

当夜の人気は云ふ迄もなく柴田環女史の一身に集った。一蹉趺の為に久しく閉息した声楽界の花形が二たび聴衆の前に現れたのだから、其処に一つの詩的なシチュエーションがあるとも云へやう。女史は稍含羞むだやうな一種の媚態を見せて壇に上った。聴衆は雷の如き拍手を以て迎えた。中には地団太踏む者もあった。

その熱狂ぶりが活写されていて長耳生にしては、肩をもった筆致である。さらに続けている。

出物は皆難曲揃ひで、流石に技巧は手に入ったもの、殊に歌劇プロフエット抜萃アリアの中で、半階音の辺りは非常に好く、其他何をやっても調子に心配は要らないが、何れも音量が足らぬ。従って一本調子に成る。それを一種の役者染みた身振りで補はうとするのが可厭味である。何故もっと冷然なる態度で悲劇の主人公の如く振舞はぬのであらう。

悲劇の主人公の如くとは返り咲いた悲劇の人、環女史をいうのではなく、このアリアを歌う劇中の主人公ベルタを指しているのだが、読者は環の心境に重ね合わせたことである。

西洋音楽の普及は明治末期にいくつかの音楽団体の定期演奏会によって、それぞれに特色を発揮しながら着実な歩みがみられた。(6)演奏家はようやく報酬を受ける機会を得るようになったものの、在日外国音楽家も欧米に比べ実に気の毒な程であるとする論説も見られた。

その例として一曲の報酬に百円を受ける者は東京音楽学校のユンケル、マイスター、ロイテルそしてペッツォルト夫人と宮内庁のドラウィッチ氏ぐらいで、日本人では幸田姉妹、神戸絢子が五十円、柴田環は三十円だとしている。(7)

※本記事は、2020年10月刊行の書籍『新版 考証 三浦環』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。