そう気付いた時に、源氏物語は千年の時空を超えていました。そして、この京都で暮らす日々の中で目にする風物のあれこれを、源氏物語の一場面と結び付けるようになったのです。そんな思いを伝えたくて始めたのが源氏物語ブログでした。

愛宕山の左右に橙色の夕焼けが広がり、やがて、比叡山の肩から満月がゆっくり顔を覗かせる――この同じ光景を紫式部も見たのです。京都の地形は千年前とほぼ同じで、平安京の町のつくりは今も残っています。源氏物語に描かれた四季折々の風物の一端は、今、私たちの目の前にあるのです。それらを源氏物語の原文にも触れながら写真とともに紹介するブログは、二〇一七年の開設から約三年を経て百回を超えました。

この本は、その中から五十八編を選んで編集し直したものです。古典文学愛好家の皆様はもちろん、これまであまりなじみのなかった方々にも楽しんでいただければ幸甚です。

春:1 梅花薫る頃

寒さが少しやわらぐころ、蕾をふくらませて時を待っていた梅が綻びはじめます。現代に咲く様々な花の中で、王朝人が見たものとさほど変わっていないのが梅の花ではないかと勝手に思い込んでいます。桜に比べると地味で、それでいて薫り高いこの花は、何とはなしに古風ではありませんか。

月ヶ瀬梅渓の梅

さて、源氏物語には「梅」と名のつく巻が二つあります。「梅枝」の巻と「紅梅」の巻です。

ここではまず「梅枝」の巻をご紹介しましょう。この巻は梅の香に満ちた巻、光源氏が、娘明石姫の裳着と、それに引き続く入内の準備に明け暮れる、たいそうめでたく明るい巻です。姫の嫁入り道具はいろいろありますが、中でも源氏が心を砕いているのは、薫物(お香)と草子(綴じ本)でした。薫物はこの方ならという方々に依頼して作らせています。

きさらぎの十日、雨すこし降りて、お前近き紅梅盛りに、色も香も似るものなきほどに、兵部卿の宮わたりたまへり。(略)花をめでつつおはするほどに、前斎院よりとて、散り過ぎたる梅の枝につけたる御文持て参れり。(梅枝の巻)

梅薫る源氏の邸に弟の兵部卿の宮がやってきて二人で梅を愛でているところに、朝顔の宮から、梅の枝に結んだ手紙と共に薫物が届きました。梅花香の入った白い瑠璃の坏には、梅の枝の造花が添えられ、黒方香の入った紺色の瑠璃の坏には五葉松の造花が添えられています。依頼してあった薫物です。

源氏は、その使いの者に紅梅襲の装束を与え、お返事は紅梅色の紙を選んで書き、これまた紅梅の枝に結んで託しています。この後、兵部卿の宮との薫物合わせを楽しんだあとは宴会になり、そこでは『梅が枝』という歌が歌われ、帰ってゆく兵部卿の宮にはお土産として梅花香が渡されるのでした。梅づくしです。

王朝人は四季折々の自然の移ろいを愛し、それを生活の一部ともしていました。そして、現代の私たちにもその血は受け継がれています。その証拠に新聞にはこの季節「梅だより」が掲載されているではありませんか。

※本記事は、2021年1月刊行の書籍『源氏物語花筐――紫式部の歳時記を編む』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。