我々人間界には絶えることのない争いが存在しています。争いが生じる主な根源には、1.人種・民族の差別、2.宗教の存在、そして3.主権国家の存在、の三大根源があります。これらがなぜ争いを創造するのか、そしてどうすれば人間界から争いを追放することができるのかについて思いをめぐらします。

科学の厄災化

⑦核の不拡散および廃絶

核の不拡散は、人類にとって望ましいことですから、何がどうであれどのような場合も、肯定するべきものであることに異論はありません。

しかし、「核拡散防止条約(NPT)」のように、核保有国が、「我々は既に核を持っていますが、これ以上核保有国が増えるのは良くありません。核をこれ以上拡散しないために、今迄に核を保有していない国は核保有を目指さないで下さい」ということ、すなわち、「私達は保有するが他の国は核を持つな」というのは筋の通らない話です。

これでは非核保有国は、心の底から納得できるものではありません。なぜなら、人間とはそのような不公平な考えや物言いは基本的には受け容れられないと感じ考える生命体だからです。

核のない時代においても、第二次世界大戦の戦勝国である核保有国は非核保有国に比べ通常兵器に限っても既に軍事大国でした。主権国家の安全保障という観点からは、軍事小国の方こそ可能であれば核のような強力な兵器を手にして軍事大国に対する安全保障を確保すると共に国際間における十分な発言権をも確保したいと願っていたことは当然であると考えられます。

然るに、現実には核を手にすることになったのは通常兵器においても軍事大国の方で、そのため軍事小国は軍事においても国際間の発言権においても主導権は軍事大国に把握されている形になっています。これでは、軍事小国の中に核を保有する軍事大国を恐れ、自国も核を保有し核抑止力による自前の安全保障を目指すことを考える国が出て来ることがあってもそれは自然と言えば自然なことで何らおかしなことではありません。

核を導入しさえしなければ、核を以て核に対抗する必要性の諸々が生じることはありませんでした。この場合、どちらに理がないかと言えば、核保有国の方です。

核不拡散という最終目標と上記の議論から見えてくることは明らかです。核不拡散の究極は核廃絶です。1968年の「核拡散防止条約(NPT)」は必要ではありませんでした。