昭和十三年私が十歳になった時、祖母はすでに再婚した母を含めて自身の土地を引き継ぐ子供たちがいなくなっていたために、親族のだれかに将来の自分の資産を管理してもらわねばならないという状況になっていた。そして祖母は母を通じて自分の養子として私に受け容れてもらえないかと要望したのである。私は昔から祖母はとても自分のことを可愛がってくれていたという単純な理由で、深く考えることもなく、半ば当然のようにそれを受け容れて彼女の養子となったのである。

しかし当然のことではあるが、私はまだ子供だったので両親、兄姉と共にずっと一緒に住んでいた。そこから祖母の家までは一キロメートルくらい離れていたのだが、私は祖母が住んでいた母屋にはちょくちょく遊びに出かけていき、お菓子などをほおばりながら祖母からよく昔話などを聞いたものである。

だがその母屋からは滝つぼに水が落ちる音がいつも耳に届いていたのだった。最初はそれが私にとっては大変苦痛に感じられていたのだが、それも時と共に次第に苦にならなくなった。用水のはるか下流では流れは緩やかになっていて、ウグイのような淡水魚がとれた。

さらに裏庭の奥深い敷地に沿って流れている天狗岩用水は扇央を削るように流れていたため、用水の西縁付近は、砂礫層中を流れる上流からの伏流水が湧きだしていた。つまり清水が湧き出ていたのである。

それはもちろん飲料水や風呂水としても利用されていたのである。またそこは湿地帯だったので、セリや薬草などが生えて、その時期になると近くの人たちがそれらを摘み取っては食していた。

※本記事は、2020年12月刊行の書籍『私の生きる意味』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。