母は最初に結婚した夫と共に朝鮮に渡ったが…

それから時代は一気に昭和に入って、第二次世界大戦の終結を迎えたその数年後に、先祖の西側の敷地にあった母屋に住んでいた祖母がなくなった。祖母は四人の子供に恵まれたが、三十数年の間に私の母以外の兄弟はみな結核で病死した。

母は二度結婚している。最初に結婚した夫は新潟県南蒲原郡如法寺村(現三条市)出身で、十二歳で前橋市の元景寺にて得度し、旧制前橋中学校から旧制東京外国語学校(現東京外国語大学)の朝鮮語科を卒業して朝鮮総督府の財務主任として赴任することがきまり、母と共に朝鮮に渡り、そこで一人娘、トシをもうけた。

当時彼らはその後数年間それなりの生活をおくっていたが、夫は慣れない外地勤務での疲労がかさなって、次第に自身の体調不良を訴えるようになった。その後まもなく仕事を継続してゆくことが難しくなり、大正二年家族とともに帰国せざるを得ない状況となった。そして帰国して間もなく夫は前橋市の長昌寺の住職として命を受けたのだが、翌年病が高じてその後間もなく三十一歳の若さで母と一人娘を遺して他界した。

母はその後、娘を連れて後妻として再婚したのだが、私はその後に生まれた三人兄姉の次女として昭和三年二月に生を受けたのである。私は義姉トシとは子供時代を楽しく、時にはお小言をもらいながら過ごしていたが、彼女は後に結婚して夫と共に満州に渡ったのだが、終戦間近に、腹膜炎を患いそれが元になって現地で息を引き取ったのである。