パソコンが普及したのは私が三十を過ぎた頃だ。若い頃ならまだしもそのくらいの年から機械に慣れようなどとは思わなかった。ましてやワープロも、満足に使いこなせなかったのだ。文字を打つのも億劫だと感じる私が最新の機械を使いこなせるわけがない。

周りがスマートフォンだのタブレットだの騒いでいる中、私は携帯電話を持たず、ずっと家の電話で編集者や友人たちと話をしている。遠出する際は、一緒に出掛ける妻がスマートフォンを持っているからそれで充分だ。私にインターネットの環境は必要ない。

必要な知識は古書店の主人を務める友人に聞くか図書館に行けば事足りるし、メモはノートにすればいい。だから原稿は専ら文具屋で業者の如く買い占めた原稿用紙に書いて、出来上がったものは若い女性社員がワープロで打ち直してくれている。毎回何万と文字を打つ社員の身にもなってください、と原稿用紙を持ち込む度に苦い顔をした編集長から言われたのは記憶に新しいが、どうにも新しいことを始める気にはならない。

※本記事は、2020年12月刊行の書籍『水蜜桃の花雫』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。