東芝3億円強奪事件のその後

板橋の切っても切り離せない友人に、三上哲夫がいたことは冒頭に触れたが、ここで彼について記そう(関連記事:板橋と金田は、いい仕事をしたが、頻繁に会社を休んだ)。

三上哲夫は愛知県の岩倉市から名古屋市へ、名古屋市から知立市へ移り住んでいた。波瀾万丈の人生を過ごして来た男であった。

趣味は読書、絵画、登山、卓球などであった。仕事のほうは事務系の仕事は何でもやって来た。大会社で自動車やスクーターなどの設計もやる。デザインもやる。コストの計算、経理の仕事もやる。コンピューター関係の仕事もこなす。購買関係の仕事もやる。

ある時は、親しい中堅会社の社長とともに会社を創立し、社長として働いたこともある。新会社の仕事は経営コンサルタント、主として自動車関係の金型や試作品の製作、コンピューター関係の仕事であった。

仕事は超多忙であっても、好きな絵画は描き続けた。そのために目を酷使し、緑内障に罹ってしまったこともある。危うく失明するところであった。

しかし、失明した叔父との電話により、自分は重い緑内障であると知り、適切な治療を継続したことにより、失明しなくて済んだ。じつに運が良かった。ありがたい。

そんな過去を振り返っていた時、仕事も趣味も悔いなくやって来たにもかかわらず、なぜか足下がふらふらするような心持ちに気づいた。その頃、すさんだ世の中だったのだろうか。それとも人間の心が不安でいっぱいだったのだろうか。

日本の自殺者数は3万人以上であった。怪しげな新興宗教がはやっていた。その代表例はオウム真理教である。