一対一に持ち込んだ安心感から、焦りが闘いの高揚感に変わる。全てがゆっくりとよく見える。

その大きな黒い塊には、なんと手足が生えているではないか。その姿は滑稽ですらあった。

しかし右手には、鋭い石刃刀を握っている。硬木に黒曜石の刃を埋め込んだ最高級品である。「何者か」と問うと、くぐもった声で「ちょっと待て」と言う。そのまま、左手が動いたかと思うと、黒い塊を脱ぎ捨てた。

今度現れたのは、山の向こうの村の丘者であった。名は覚えていないが、こちらの長の妹が嫁いで為した子で、ムカルのいとこにあたる。そういえば、この場所からは山向こうの村もそれほど遠くない。

そういうことか。

それにしても、ムカルがここまで陰険で手の込んだ企みを仕組むとは信じられないと共に、自分がそこまで彼に脅威を与えていたとも信じがたかった。村の若者たちの人望という意味では、確かにある種の対抗関係にはあったが、同じ村の仲間だと思っていたし、彼の村長の後継者としての地位に挑戦する気などは全くなかった。いや、本当に全くなかっただろうか。

山向こうの丘者は、油断なく石刃刀を構えていたが、その表情には曖昧さがあった。

確かに、同じ人間となれば、負ける気はしなかった。

どういう選択肢があるだろうか。

二人を殺し、その証を村に持ち帰ったらどうなるか。ムカルの陰謀が明らかになると共に、ムカルと自分の対立は決定的になり、村の長も極度に気まずい思いをするだろう。息子の陰謀と甥の生首を受け止めかねて卒倒するかもしれない。さらに、もともとあまり関係がいいとは言えない山を挟んだ二つの村が、これをきっかけに戦争になるかもしれない。

二人を殺し、その証拠が残らないようにするのはどうか。影響を考えるとよりましだが、その行為の酸鼻さに吐き気がした。死者、特に殺された者は、しかるべき手順を踏んで石を抱かせて屈葬にしないと、悪霊になると信じられている。同じようにして殺されたであろう親友を思えば、当然の報いかもしれないが、首謀者に違いないムカルが、顛末すら知らずに生きているのでは、不公平極まりない。

※本記事は、2020年11月刊行の書籍『東方今昔奇譚』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。