弥生編

その時である、夕日で赤く染まった洞窟の入り口に、大きな黒い姿がちらりと現れた。だが、またすぐに中に入ってしまった。

本当にいたのか。

反射的に弓につがえた矢を持つ手には、じっとりと冷や汗がにじんでいる。

何かはよく分からなかったが、目の誤りではない。

狩人としては、その何かが出てくるのを待ちたいところだが、もうすぐ暗くなってしまう。

火を用意したいところだが、時間が掛かるし音も出る。獲物を目の前にした狩人のとる行動ではなかった。

アトウルは猫のように立ち上がると、ひそやかに歩き、洞窟の入り口の脇に静かに立った。耳を澄ませ、不安を抑えて目を閉じ、さらに手で覆って二の百を数えた。人間の目が暗さに慣れるのにはそれくらいの時間が掛かる。その間、洞窟の奥ではかすかな物音がしていた。もし近づいてくれば、反応出来る。

数え終わると、すばやく弓を構えて洞窟に踏み込んだ。

奥行二十歩ほどの洞窟の奥には、巨大な黒い塊があった。

次の瞬間、背後に殺気を感じてさっと傾げた顔の横を、鋭い何かがかすめたかと思うと、左頬に焼けるような痛みが走った。

前後を挟まれたという状況が、狩られているという実感となり、全身を氷水のように襲った。普段から様々な獣を追い詰めてきた腕利きの狩人であるアトウルだが、逆の立場に追い込まれたのは初めてである。

右目の隅で、黒い塊が動き出す。

まだ明るい夕空を背にした黒い影は、人のものである。その中央を目がけて矢を放ち、そのまま渾身の力で体当たりし、洞窟の外に転がり出た。左肩に鋭い痛みが走ったが、それにかまわず右手で腰から石斧を引き抜く。

目の前に転がる男は、なんと、いなくなったはずの、ムカルの取り巻きであった。

狙いあやまたず、みぞおちに矢が深く刺さり、うめいている。そいつはひとまず放置し、入り口に出て来た黒い塊に向き直る。