第二章 渡海

帰航

その大小を問わず船には出港したら必ず無事で帰航する母港がある。シーガル号の母港は伊豆半島の東の付け根に位置する網代港である。

その後、コンパスによる有視界航法であっても操船技術を駆使すれば安全に渡海できる事を知った我々はあの秘境「吹の江」でゆったりと過ごす時間を多く取ろうと網代から式根に直行するようになっていった。延々約一〇〇キロの航海である。

出港して門脇沖合に進路を取った後、真南に二時間余、艇は新島の海域に達する。その海は波が凪いでいて回りは伊豆半島、そして未だ白い噴煙を吐き続ける伊豆七島の島々に囲まれている。

私はその美しくダイナミックな造山活動を続ける景観の神々しさに、故郷室蘭の噴火湾を想い出していた。太平洋に大きく口を開けているその湾は回りを恵山、駒ケ岳、有珠岳、そして室蘭の北東岸には登別、樽前山など今尚噴煙を上げている火山に囲まれている。

十九世紀に入ると北海道にも多くの外国船が来航するようになった。そのうちのイギリス帆船が、白鳥が群れを成して舞い降りていたと伝えられる美しい天然の湾、白鳥湾(現在の室蘭港)に入ってきて錨を投じたがその際、不幸にも事故でオールソン船員を失った。長い航海の苦労をせめて陸に埋葬してねぎらおうと、湾の入り口に浮かぶ大黒島にカッター船で上陸して埋葬したが船長は島の頂上から回りの海を眺めて感動しその湾を噴火湾と名付けて本国に報告したと聞く。