忠実は誓ひをまもるを諭したり氏の長者を譲りなされと

*久安六(一一五〇)年、忠実の裁定は頼長の左大臣の地位。頼長三十一歳、基実八歳の年の差からして、きわめて順当な人事であったといわれる。

【藤原摂関家の内紛】

 

いくたびも言葉をやはらげ諭したりされども忠通これに応へず

 

激震の地割れのやうに裂かれたり父子(おやこ)の溝はつひに埋まらず

※本記事は、2013年2月刊行の書籍『花と散りにし』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。