他力本願なようではあるが、流れに身を任せると決めたのは自分の意思だ。後悔というものをしたくないがために、自分自身で決断を下す道を選んできた。しかし振り返ってみるとその時の自分を責めたりもしてきた。

私は時として感情に身を任せてしまうが故、しなくてもいいことをしてしまったり、どうでもいいことに執着してしまっているということがある。何も自分で決めない。なるようになる。

ただただ私は、自分らしくいたままでゆっくり流される。要は、気ままに生きることにしたのだ。そう決めてからは、なんだかとても楽になった。

何故今まで眠れなくなる程に、頭を抱えて悩んでいたのだろうか。そして自分を買い被り、もっと高い所へ追いやろうとしていたのだろうか。そう考えられるようになったということは、少しは余裕ができたのだろうか。

少ないけれど給料をもらい、貧乏だけれども味わい深い。少しずつできあがって行くそんな生活に満足し、私は満たされているのだと考えたかった。私が抱えている寂しさは今に始まった話ではないが、競艇場での仕事に行くことでそれはなんとか誤魔化すことができるのだった。

競艇場での仕事がない日々は辛かった。私をより一層孤独へと追いやるような残酷な日々だった。

今、一番欲しいものは何かと誰かに聞かれたら、暖房器具と答えるだろう。それ程心身共に冷え切っていた。しかし、本当は暖房器具よりも愛が欲しいのだった。

※本記事は、2020年12月刊行の書籍『破壊から再生へ』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。