しばらく歩くと、「松山銀座街」という今にも朽ち果てそうなボロボロの看板がつけられた3階建ての小規模ビルが見えてくる。数店舗のスナックが営業していたレジャービルだったのだろうが、今は全て廃業していてシャッターで閉ざされている。

松山銀座街。ここは尼崎。しかも尼崎の中心地のド尼崎。銀座と尼崎。よく「銀座街」なんて名前つけるなぁとビルオーナーの了見を僕は疑う。

バイクに乗った郵便外務員が、ハイスピードで僕らの横を通り過ぎた。尼崎の銀座を抜けたら、運が良いことに交番前の信号が青に変わったので、僕らはそのままのスピードで横断歩道を渡る。

しばらく歩くと小学校が見えてくる。小学校の裏門付近の交差点で僕はマコトと別れて、それぞれの帰路に着いた。

賑わう商店街とシャッター商店街、風変わりで乱暴なオッサン、黄と黒を纏った阪神ファン、連棟住宅の厚化粧な女性達、尼崎の銀座街、仏壇仏具屋の店主、交差点にある交番、歴史が光る小学校。メイドイン尼崎な僕らにとってはこれが日常なのだ。日常の剥き出しなのである。

生きていくために不可避な剥き出しの日常が僕らの目の前に横たわっている。一見相反する鈍い矛盾が折り重なって、その狭間で僕らは存在し呼吸している。

僕には難しいことはわからない。でも一つ言えること。この街に育った今の僕が一つだけ言えること。それはコレが生きるってことなんだと思う。

僕らは黒でもなく白でもなく黄でもないグレーな世界に生きている。地球の表面は、実は美しい青色などしてはいなくて、よくよく見るとシャッター色に違いないのだと思う。灰色した地球はぐるぐるぐるぐると自転しながら哀しい老いを運んできて、僕らを他愛無い未来へと進めていくのだろう。

マコトと別れて一人になった僕は、頭に浮かんだ様々な想いを道理にかなった説明ができるように順序立てて考えながら、痛快琴浦通りを歩いて自宅がある西の方面へ向かった。窓際に大量の洗濯物が干されている狭小の古びた鉄骨アパート、寂れた文化住宅、今は営業しているのかも不明な「再会」という屋号のカラオケ喫茶。

薄れた赤字で日本盛と書かれた看板がかかった大衆居酒屋、老舗のキムチの販売店、店外がビールケースだらけの立ち呑み屋。と思えば一方で、最先端建築技術が投入された洗練されたデザインの新築マンション、また高級車が駐車されている一流メーカー施工の一戸建て住宅。歴史あるこの街は新旧物件が犇き合っていて、独特なカオスな風景を形成している。

※本記事は、2019年11月刊行の書籍『尼崎ストロベリー』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。