邪馬台国時代(二世紀~三世紀)の倭国では漢字が使われていたか?

3 邪馬台国時代は果して、漢字は使用又は理解されていたか

以上五例は、全て魏の皇帝から倭国の女王卑弥呼への詔書(みことのり)である。(関連記事:正式な漢字の伝来と日本最古の使用例)女王が直接読めたのか、倭訳されて読んだのか定かでないが、いずれにしても倭国側は漢字を理解して、魏の翻意は通じていた。

倭国側のメッセージとして、「倭人伝」に次のような文章がある。

「倭王因使  上表 荅謝恩」

倭王卑弥呼は遣使によって、詔恩に応え謝礼の上表文を送り届けた。この上表文には、卑弥呼の署名がされていたはずである。

 
 

もちろん、倭文では、 上表文 にはならず漢字で表記されていたと考えるのが当然である。これによって、邪馬台国時代の倭国では、漢字を使用する階級が存在したことが証明できる。

① 倭国の漢字使用者は、国名も一音一語形式の漢字で表記し、朝貢使が魏国側に書き示したものと考えられる。

*対海(つしま)〈馬〉國(現在の対馬)、*一大(いき)〈支〉國(壱岐)
 末盧(まつろ)國(松浦)、伊都(いと)國(糸島)、奴(な)國(那の津)
 不彌(ふみ)國(宇美)、投馬(つま)國(宮崎県西都市妻・都萬(つま)神社)
 侏儒(しゅじゅ)國(高知県幡多郡鈴)、狗奴(くな)國(熊本)
*古田武彦著『「邪馬台国」はなかった─解読された倭人伝の謎─』によると、紹熙本は対海國、紹興本は対馬國と表示されている、という。

他の女王国の二十一カ国も全て一音一語形式で表現されているし、文字は漢字の基本語を当てているようである。

それ故に、一字一字の文字の意味はない。万葉カナと同じである。地名は「言葉の化石」といわれているように、邪馬台国時代の倭人語は、今でも生きているといえる。