今の日本は、少子高齢化世界一です。結婚に対する常識も、結婚式や成人式のあり方も変化してきています。そんな中で、SNS上で「結婚して何人も子供のいる女性が、振り袖を着ているのは図々しいと思う」と書き込んだ男性のように、私たちは知らず知らずのうちに、常識の起源を調べもせずに生活しています。

先にも述べましたように、私の父は小さな電気屋を営んでいました。自分が売った品物以外でも、頼まれたらどんなメーカーの商品でも修理をする修理屋でもあり、小さな田舎の町で信頼を得ていました。

この町で商店会の会長をしていた父は、1973年の大店法(だいてんほう)(大規模小売店舗における小売業の事業活動の調整に関する法律)が決まる事態を酷(ひど)く危惧(きぐ)していました。当時の私は高校生で、父の言っていることの意味を理解していませんでした。便利だから、安いからいいじゃないのと。

大店法が制定となれば、大型スーパーマーケットや大型店舗が縦横無尽に進出する。町の小さな小売商店はたちまち潰(つぶ)れてしまい、弱肉強食が始まるということです。

1980年代、アメリカの圧力もあり、父の危惧をよそに近くの町には大型店が次々とできました。『便利』さに翻弄(ほんろう)される時代の弱肉強食は、今も起きています。

全国の商店街で起こっている、シャッター街の問題。当時の父の危惧は起き続けています。日本文化本来のサービスと、本来の豊かな日本の姿は、国際化と『便利』という名のもとにすっかり変わってしまいました。

どんなに小さな社会も大きな社会も、誰かの都合による決断で流れています。その決断に、歴史の目線、俯瞰(ふかん)の目線、何よりも持続可能な未来の目線が存在してほしいと感じています。

 
※本記事は、2020年12月刊行の書籍『きょうは着物にウエスタンブーツ履いて』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。