「しかしフェラーラの絵はラファエル前派のような[愛]や[死]など、ロマン主義的課題を使いながらも、仔細に見れば分かるのですがね、その意味合いがかなり違うのですよ。宗像さん、あなたは一瞬でそれに気がつきましたな……素晴らしいよ」

「いえ、直感だけですから」

「いやいや、その直感こそ、誰にでも賦与されるものではありませんからな。それに彼の絵にはいつも[何?]の意味が重層化されているから、謎解き的な楽しみもありましたな。神の手か悪魔の手かわかりませんが、恐ろしいテクニックを身に付けていたしね。だが、まことに残念だが、フェラーラは自ら描いた絵について、一切の解説を省いていましてね。いや拒否したのかもしれませんな。だから、そんな楽しみ方や鑑賞方法もあることが大衆には伝わらなかった。その結果、一般性がなかったし、専門家にも、もう一つ受けが悪かった。その当時、幾つものコンテストに応募したが、一つも入選しなかったことがそれを如実に物語っている」

「そんなことがあったのですか?」

「専門家か庶民かの、最低どちらかに熱烈に受け入れられない絵は、残念ながら日の目を見ないものさ。そんなとき、サン・ザッカリア教会の仕事も終わってしまった。収入が途絶えて生活にも事欠く状況が続いた。彼らは落胆してヴェネツィアではもうこれまでと思った。翌一九六二年春、見かねた私はフィレンツェに移らないかと誘ったのです。ささやかな画廊をピッティ宮殿のあるサント・スピリト地区の裏通りに開いて八年が経った頃のことで、画廊ビジネスがやっと軌道に乗り始めた時期だった。もちろん、二年前に開いたヴェネツィアの店はまだ赤字続きだった。だが私はね、フェラーラの恐ろしい才能を信じていましたからな。何とかしてさしあげたい一念で、お話し申し上げたというわけなのです」

※本記事は、2020年8月刊行の書籍『緋色を背景にする女の肖像』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。